若葉集の皆さま、日常生活がとても忙しく、いつの間にか時が過ぎていってしまうと感じておられる方も多いことかと存じます。そして、せっかくのよき句材を見過ごしてしまうと、
見えていて見えず、
聞こえていて聞こえず、
そんな心境になりますね。であればあるほど、小さな小さな物事にも意を払い、ちょっとした喜びや感動、小さな発見を大事にして句づくりに励みましょう。
生かされて生きて古希なり鰤旨し 髙松眞知子
〈生かされて生きて〉、私たちの人生は、まさにその通りだと思います。生きるために不可欠の食事一つさえ、その材料を栽培し刈り取る人、それを運送する人、商品に仕立てて売る人、料理してくれる人などなど、多くの人のお世話になっているのですね。だから、食事をするとき、思わず「いただきます」と感謝の気持を述べるのですね。
作者も元気に古希を迎えて、あらためて、多くの人と助け合いながら生きて来た人生を振り返っておられるのでしょう。感謝の念がこもっているように受け止めました。
風花を惚け眺むる午後一人 小見 千穂
〈雪しまく夫を見舞ひてバス待てば〉の句がありますので、午前中に入院されているご主人のお見舞をして、午後は、ご主人の容態を案じながら、ボーっと外の風花を眺めておられる作者ですね。
ご主人を案じるあまり、家事なども手につかず、回復を祈りつつも、ただただ外を見詰めておられる作者の姿が〈惚け眺むる〉の措辞から痛々しいほどに伝わって来ます。思わず、私も、ご主人の早い回復がありますようにと祈ってしまいました。
村人が総出で稚鮎放ちけり 扇谷 竹美
鮎の養殖を地場産業としている村の情景ですね。養殖の稚鮎は、十センチほどのやや大きめに育ち、四月か五月ごろに市場に出回ると聞きました。
この稚鮎の養殖が村の経済を支える産業の一つで、村人が総力を挙げて盛り上げているのだろうと思います。そんな情景を〈村人が総出で〉の一語で見事に捉えました。
白魚の目の小さきをいつくしむ 安齋 行夫
生きたままでの「踊り食い」で名の知れるごく小さな魚ですね。白く透明なごく小さい魚ですが、それだけに瞳のやや黒く輝く様子は可愛いものです。
その群れを一気に飲み干してしまうのですが、作者は、食する前に、その瞳を見て、白魚の小さな「いのち」の躍動ぶりに心打たれているのですね。
作者の繊細さというか優しさに感じ入ってしまう一句です。
雪を踏むひと足ごとに児に還る 岩橋 俊郎
私の子どものころは、雪が降る、そして積もる、それは大きな楽しみでした。雪を蹴散らして駆ける、固めて橇で滑る、雪だるまを作る、雪合戦をする、数えきれないほどの楽しみをもたらしてくれました。
作者も、積もった雪の上を歩みながら、そんな昔の思い出にひたっているのでしょう。雪だるまでも作って見たらいかがですか。
でも、私の故郷は、豪雪地帯。〈美しくあと恐ろしき雪の降る〉なんていう句を詠んだこともあります。
人生のすべては一会春寒し 大畑 稔
一期一会、難しい言葉ですね。作者は、この一会という言葉を、出会った人とは必ず別れがあると受け止めておられるのでしょうか。仏教でいう会者定離に通じる無常観ですね。そういう意味では、〈春寒し〉という季語との取合せが効果的です。
でも、一期一会という言葉には、何度でも出会う機会がある人であっても、「この出会いが最後かもしれない」と考え、その出会いのときを大切にする、そんな前向きの想いが含まれています、人との出会いを大切にし、友情を育み、絆を強め、暖かい春を迎えましょう。
春の夕雨戸の滑る音軽し 越智加奈子
〈春の夕〉という季語、何となくもの寂しさを感じさせる秋の夕暮とは違い、むしろ優雅さというか気持の弾みを感じさせる季語ですね。そんな春の夕、日も沈み雨戸を閉める音の軽さに着目した作者です。
それにしても、そんな日常の些細なことに着目して春の夕べらしさを詠む作者の感性に感服です。
俳句は、発見と言われますが、毎日繰り返し行っている些細な行動の中にも、こんな発見があるのですね。
心身をしやんとセロリを刻みけり 加納 聡子
セロリの小気味いい歯ごたえ、私は大好きですし、そんな歯ごたえを詠んだ句もいくつかあるようです。
でも、作者の目の付けどころは、包丁の刃ごたえです。セロリを刻むとき、その包丁にも切れの良い響きが伝わって来るのでしょうね。その小気味よい包丁の響きに思わず背を正し、〈心身をしやんと〉してしまった作者。歯ごたえではなく、包丁の響きを詠んだ句は初めてです。
雪折の枝の真白き裂け目かな 福原 正司
この句も作者の目の付けどころが素晴しいと思います。雪折れの枝を見かけることは、よくありますが、その折れ目に目をやり、俳句は発見という言葉を実行する作者の感性に惹かれました。
しかも、〈真白き裂け目〉の措辞で降り積もる雪の白さまで連想させる。見事です。