若葉集前々月号鑑賞         伊藤たいら

 

 句づくりに欠かせないものとして季語があります。歳時記を開くと多くの季語が登場しますが、その中には中国から入って来たもの、つまり漢詩に起源をもつものが少なからず存在するのだそうです。
 でも、日本に入って来ると微妙に変化しているのだそうです。たとえば、「夜長(やちょう)」は「夜長(よなが)」に、「短夜(たんや)」は「短夜(みじかよ)」へと日本人の感性に合った言い回しに変化していったのだそうです。嬉しいですね。
 私たちも、歳時記を通して季語の本意を学び、日本人らしい叙情溢れる感性をもって句づくりに励みましょう。

佐保姫の食みしか雲に薄き紅       福原 正明

 佐保姫、春の野山を彩ってくださる伝説の女神ですね。この伝説の発祥の地の方々だけでなく、全国の多くの方を惹きつける春の女神です。春、その曙の雲を茜に染めてくださるのも佐保姫の神秘の業かも知れません。
作者は、そんな曙の茜雲を、佐保姫が唇を寄せ口紅で淡く染めてしまったのではないかと想像を膨らませたのですね。大胆な想像ですが、とても艶めく、華やかな一句となりました。佐保姫に失礼ではないかと思う読者がいるかも知れませんが。

一丁も先より香る沈丁花         大木雄二郎

 春が来ると、どこからともなく花や草木の柔らかな匂がやって来ます。そんな中でも、ひときわ芳しい香りで楽しませてくれるのが沈丁花です。
 春の朝、作者が散歩をしていると、一丁も先、百メートルも先からよい香りが風に乗ってやってきます。花の姿は見えないけれど、作者は逸早く、これは、きっと沈丁花だと気づいたのでしょう。花の美しさを鑑賞しつつ、胸の深くまでその香りを吸いこもうと歩を速めた作者の姿が想像できます。

花曇眠き子のゐる乳母車         扇谷 竹美

日を浴びて土筆つみゐる子どもたち    近藤登美子

ふらここや帰りたくなき稚児ぐづる    片上 信子

春の雨小き合羽がとことこと       岡田  潤

 小さなお子さんの可愛らしい場面を捉えた句がたくさんありました。とりあえず、この四句を取り上げてみました。
まず、扇谷さんの句。春が来て暖かくなると眠気にとらわれ勝ちになりますね。〈蛙の目借り時〉とかいう季語のとおりです。特に、花曇りのような重い空模様ですから。この稚児さんも乳母車から花曇りの空を見上げているうちにうとうととしてしまったのでしょう。そんなときの顔も可 
愛いものです。
 次に近藤さんの句。野原など自然が好きで外遊びに熱中する子どもたちを見ていると嬉しくなります。スマートフォンなどのゲームに凝らず、「日を浴びながら」自然を相手に遊ぶ子、きっと情緒の豊かな大人になることでしょう。
 続いて片上さんの句。ぶらんこを漕ぎに漕いで、いつまでも楽しんでいる子ですね。そろそろ日暮、もう帰ろうよと持ち掛けたところ、もっと漕ぎたいとぐずり始めました。こんな子が好きですね。大人になって好きな仕事に就けば頑張って出世しますよ。
 最後に岡田さんの句。春雨の中をゆく幼い子の可愛い後ろ姿を連想しました。合羽の下には赤いランドセルが透けているのかも。〈とことこと〉の措辞から、そのランドセルが重そうなんだと、勝手に思ってしまいました。

卒業の部室に残る昨日かな        岡田 寛子

 この句の鑑賞するときのキーワードは、〈昨日〉でしょうか。単なる〈昨日〉ではないのでしょう。
 卒業の直前まで行っていた球技などの部活。その一つ一つが昨日のことのように蘇って来る、そんな想いが込められた〈昨日〉なのでしょう。楽しかったこと、試合に負けて悔しかったことも、みな新鮮な思い出なのでしょう。〈昨日〉の措辞が大胆かつ雄弁です。

手のひらと云ふ良きものや桜貝      木村 粂子

 桜貝、浜辺の波打際に桜の花びらのように漂う美しい貝ですね。そんな桜貝を乗せている手のひらまでが美しく見えて来る、そんな素敵な気分になっているのですね。
 手のひらというと、高田敏子さんの「水の心」という詩を思い出します。一部ですが、こんな詩です。
 「水は つかめません
  水は すくうのです ……
  そおっと 大切に  ……
  水のこころ も
  人のこころ も」
 この詩の水を〈桜貝〉に置き換えてみましょうか。

若き日の春の服着て友を待つ       中尾 礼子

 暖かな、そして華やかな思い出をともにする友人を待っておられるのですね。そんな思い出を手繰ると心躍る想いなのでしょう。
 それにしても〈若き日の春の服着て〉の措辞が巧みです。友人との数々の思い出の中でも突出した良き思い出、そのときに着ていた春の服を取り出したのですね。ちょっと若づくりになるけれど、それもまた嬉しいことです。

どうしても曲がつてしまふ田植かな    大畑  稔

 植えたばかりの田の苗の筋、気持の良いほどに真っ直ぐです。特に、最近は機械が植えていますから。
 でも作者の見た植田は、植え筋が微妙に曲がっています。きっと学習田なのでしょう。それはそれで愛嬌を感じます。
 私も、〈おほらかに植ゑ筋撓む学習田〉なんていう句を詠んだことがあります。一つの発見ですよね。