若葉集前々月号鑑賞         伊藤たいら

 

 ある著名な俳人が「十七文字の俳句なのに長々しい感じのする俳句がある。それは、句の中に動詞が多く説明調、報告調になっているか、焦点が絞られていないからだ」と言っておられるのを聞いたことがあります。
 そんな評価を避けるためにも、焦点を絞って簡潔に表現し、あとは季語に委ねる、そんな作句上の姿勢が求められるのでしょう。でも、難しいですね。とにもかくにも、まずチャレンジしてみましょうか。

ででむしの乗る葉を残し庭手入れ     杉本 綾子

 〈ででむし〉、蝸牛のことですね。昔、近所の幼馴染の女の子は、まいまいと呼んで、他の虫は嫌がるのに、〈ででむし〉だけは手のひらに乗せて可愛がっていました。
 作者も、〈ででむし〉には、何となく愛情を感じておられるようですね。庭の草を刈りながらも〈ででむし〉の乗る草の葉は刈らずに、そっとしてあげる、作者の優しさが滲み出ている場面です。
 そう言えば、前述の幼馴染の子も、とても優しい女性に成長していきました。

夕焼雲思ひは明日の旅の空        片上 信子

 華やかな西空の夕焼け、明日の晴天を約束してくれているかのようです。旅立つ作者を言祝ぐような青空が待っていることでしょう。存分に楽しんで来てください。
 現代に生きる私たちは、目に見えないものを信じることを苦手にしています。でも、考えてみれば誰でも明日があることを当然のごとく信じて生きているのですね。〈明日〉は、私たちの希望のシンボルです。考えてみれば、〈明日〉という字は明るい日と書くのですね。

永き世を経たる石垣風青し        村川美智子

 今も残る城跡の石垣でしょうか。風雨に晒され、古色蒼然とした石垣を見ていると、その城にまつわる様々な出来事や悲話が浮かんで来ますね。
 同時に、そんな石垣を囲む緑鮮やかな新樹から吹き寄せる風の気持よさ。歴史を秘めた古色蒼然たる〈石垣〉と〈風青し〉の取合せが見事ですね。

小窓から見ゆる新緑靴磨く        日澤 信行

 小窓ですが、鮮やかな新緑の樹々が見えています。むしろ小さい窓であるだけに、その窓を新緑が余りなく染めていることでしょう。
 そんな窓辺の風景が作者を「外にも出よ」と誘っているかのようです。〈靴磨く〉の措辞が、そんな情景とその誘いに乗ろうとしている作者の心を雄弁に物語っています。

暮れてより白の極まる牡丹かな      寺岡 青甫

 初夏に咲く牡丹は、白、紅など多彩ですが、寺社の境内に見る大輪の白牡丹は清々しく、心を和ませてくれます。思わず立ち止まって過ぎゆく時間を忘れるほどに見入ってしまいます。
 作者も、そうした白牡丹にしばし見入っていると、いつの間にか夕暮の時間になってしまったのでしょう。しかし、そんな黄昏の中にあっても、いや黄昏だからこそでしょうか、牡丹の白が浮き立つかのように見える情景です。
 虚子の〈白牡丹といふといへども紅ほのか〉は、白牡丹に滲むかすかな紅色を発見し、その対比を詠みましたが、作者は、暮色の中にあってこそ際立つ白牡丹を詠みました。これもまた優れた目のつけどころだと思います。

雲切れて湖面に映ゆる青嶺かな      中尾 礼子

 時のうつろいとともに変化していく湖面の情景を捉えた見事な写生の一句だと思います。なかなか難しいことです。
 しばし湖面を覆っていた雲影。その雲に切れ間のできた瞬間、青々とした山影が湖面に現れました。ほんの一瞬だったかも知れませんね。でも、作者は、その瞬間を見落とすことなく一句に仕立てました。
 写生は俳句、そして発見とも言いますが、まさに、そのとおりの一句だと思います。

磯遊おんぶして貝拾ひし日        野田 千惠

牛蛙孫のはひはひ思ひ出す        平井 高子

新緑や稚の寝息に風やはし        川尻 節子

 現代では、男性も休暇を取って育児に当たることが勧められています。しかし、子育ての場面などを一句にするときに滲み出る母性愛、それは、なかなか真似のできることではないことかと思います。
 まず、野田さんの句。幼い子どもにも海を見せたくて磯遊びに連れ出したけれど、どうしても衣服を濡らしてしまう。そこで、やむを得ず、ちょっときついけれど〈おんぶして〉貝拾いを始めたのですね。〈おんぶして〉の一語に母性愛が溢れています。
 平井さんの句。牛蛙の鳴き声は、決してスマートではありませんが、愛情を込めて聞くと可愛いものです。這い這いしながら泣いているお孫さんの様子を牛蛙との取合せによって一句にしました。〈よき声に水ふるはせて牛蛙〉という長谷川櫂さんの句を思い出しました。
 川尻さんの句。〈新緑〉と〈寝息に風やはし〉の措辞との取合せが素敵です。幼子の成長を願う心と幼子への優しさを取り合わせたようなもので、母性愛の表れそのものです。

ラジオ体操の全身包む若葉風       神田しげこ

 私も、毎朝、ラジオ体操に興じている一人ですが、場所は屋内、居間のひと隅です。
 この気持の良い句を一読して、すぐ決心しました。明日からは外に出て、木々を通り抜けてくる風を胸一杯に吸っての体操にしようと。おかげで、健康体になれそうです。