若葉集前々月号鑑賞         伊藤たいら

 

 句づくりの手法の一つに「比喩」というのがありますね。たとえば、〈去年今年貫く棒の如きもの 虚子〉のように「ごとく」とかを用いた直喩。あるいは〈まさをなる空よりしだれざくらかな 風生〉のように「ごとく」とかを用いない隠喩です。擬人化も比喩のワンパターンかも知れません。とても素敵な比喩の句を挙げましたが、頭で考えて面白い句にすることなどに捉われてしまうと、単なる言葉遊びや大げさになってしまう危険もありますので要注意ですね。私も常に気をつけているのですが、ときどき失敗してしまいます。

真つ直ぐに育つ胡瓜を褒めて採る     山﨑 尚子

 家庭菜園を趣味としている友人がときどき愚痴を言います。胡瓜が曲がってしまったと。胡瓜が曲がるのは、栄養不足のせいなんだそうですね。市販の店舗では曲がった胡瓜など見かけることはありませんが、菜園などで見かけると、叱られて拗ねている子どもを見ているようで、なかなか可愛いものです。
 あるとき、子どもたちの作った俳句を読んでいたら〈きゅうりとは曲がるものかと転校生〉なんていう句があって、なぜか嬉しくなりました。でも、食べるなら、やはり真っ直ぐな胡瓜の方がいいですね。

へばりつく守宮の腹や愛らしき      越智加奈子

 守宮は、その名のとおり家を守ってくれる爬虫類として昔から親しまれて来たのだそうですね。そのせいか、けっして見映えの良い生き物ではありませんが作者のように窓にへばりつく守宮の腹を〈愛らし〉と感じる人も少なからずおられるようです。
 正確に覚えているか自信はありませんが、〈夜ごと鳴く守宮見慣れて憎からず〉という句を目にしたことがあります。
 守宮を〈愛らし〉というのは、女性にしては珍しい感性だなと思いましたが、古来の日本人らしい感性なのですね。

お年寄ばかりの学び薔薇飾る       近藤登美子

 向学心の強い年配の方々が集まり、先生を囲んで、ちょっと難解な話を聞いておられる、そんな場面でしょうか。一句目から想像するに倫理学なのかも知れませんね。難しそう。でも、向学心に燃え胸を熱くしておられる方々のご様子と〈薔薇〉との取合せが効果的ですね。
 認知症なんてどこ吹く風かと、心身ともに若さを保っておられる方々なのでしょう。私も、薔薇の花束を持って参加したくなりました。

水音に沿ひゆく道や夏木立        林  雅彦

 涼しさの漂う一句。猛暑の続く折、気持良く拝読させていただきました。せせらぎでしょうか。〈水音に沿ひゆく〉、それだけで十分に涼気を感じるのですが、さらに〈夏木立〉の影の中を行く作者、羨ましいかぎりです。
作者の今回の句は、みな涼気の溢れるものばかりですね。二句目の〈空色の浴衣まとひて石畳〉から想像するに、きっと避暑を兼ねて山あいの湯を訪ねて憩いのひとときを過ごされたのではないでしょうか。とても暑かったこの夏ですが、きっと元気になってお帰りになったことでしょう。

鉢巻を汗止めにして露天商        松谷 忠則

 祭りとか縁日に露店で金魚とか風鈴を売っている場面、懐かしいですね。法被を着て鉢巻をしている姿に逞しさを感じておられた方も少なくないと思います。しかし、今年は、この猛暑です。汗びっしょりの姿に思わず同情してしまいます。そんな場面を見ておられた作者は、ふっと気づくことがありました。それは、露天商の額の鉢巻が〈汗止め〉になっていることです。露天商の方にとっては、炎暑の中の救いでもあるのですね。
 俳句は、発見とも言われますが、まさに、そのとおりの一句。しかも、諧謔を滲ませた手腕にも感服です。

無人駅より一望の青田かな        神田しげこ

 素敵な光景ですね。長野の県庁に出向していたことがありましたが、姨捨の駅が近づくと眼下にまさに一望の青田が広がります。しかも棚田ですから、雪崩のような青田波が豪快でした。
 作者のご覧になったのは、無人駅からですから、人影もなく、広々とした緑一色の青田原だったのでしょうね。
 そんな光景が好きな私は、そうした場面に出会うと、すぐに途中下車をして、しばし青田波に溺れるごとく呑まれる、そんなことをしてしまいます。

久々の外出に掛かる虹の帯        小谷  愛

 病気や怪我、あるいは仕事に追われて、久々に外歩きに出たときなどに虹が立つのを見ると、今までの憂さなど忘れ、嬉しくなって歩も弾みます。作者も、五句目の〈長引ける夏風邪老いをしみじみと〉から想像するに長く外出を控えておられたのでしょう。全快を言祝ぐように虹が立つ、喜びがこみ上げてきたことでしょう。

透けさうで透けぬ羅風の道        寺岡 青甫

 羅(うすもの)、その名のとおり薄絹などで作る単衣ですね。艶めく感じもありますが、そんな羅を着崩れすることもなく着こなしている女性の凜とした姿は魅力的です。
 私の通う居酒屋の女将さんも、そうした羅を着こなす素敵な方です。そんな女将さんのもとで〈羅や人かなします恋をして 真砂女〉なんていう句を思い出したりしています。
 この句の〈透けさうで透けぬ羅〉の措辞から想像するに、羅をきりっと着こなしておられる素敵な方なのでしょうね。ちょっと羨ましいですね。