俳句を始めたころ、「原因と結果」、つまり因果関係を叙述する句にならないようにしなさいと注意された経験があります。確かに、そのような句を作ると説明調になるし、詩的な要素が抜け落ちてしまうのですね。
こんな話を思い出します。入学して間もない小学一年生のクラスを担当している先生が生徒たちに「氷が溶けると何になりますか」と問いかけたそうです。すると生徒たちは揃って「はい、水になります」と答える中で、たった一人「はい、春になります」と答えた生徒がいたそうです。先生は、嬉しくなって、思わず、その生徒の頭を撫でてしまったそうです。
こんな生徒が成長して俳句を始めたら、きっと素敵な句を作ることでしょう。
幹からも吹く四五輪の桜かな 長尾眞知子
老桜の太い幹から短い枝が飛び出し、わずかながら花を咲かせている情景。仰げば、どの枝も満開の桜ですが、意外なところからも花が吹き出している情景です。可愛いらしくも、また、老桜なれど、なお豊かな生命力を感じさせる情景ですね。
〈幹からも吹く〉の措辞、ことに〈吹く〉の措辞が老桜の生命力を捉えていると感じました。
ともすれば見落しがちの小さな場面を捉えて一句にする、発見という俳句の醍醐味の一つですね。
野も山も色いきいきと穀雨なり 溝田 又男
穀雨の時期は、四月二十日ごろでしょうか。蒔かれた種や芽吹き始めた草や木々を潤し、その成長を促す暖かな雨を降らせる時期です。枯れ一色だった野や山が、その本来の色である緑を取り戻す恵みの雨でもあります。
この句も、長尾さんの句と同様に、自然界の生命力を詠んだ力強い句だと思います。そして、〈野も山も〉と視野を広げたことによって私たちを包む自然界の頼もしさ、有り難さを称える力強い句となりました。
鋏の向き変へて渡せる一年生 山﨑 尚子
鋏を人に渡すとき、刃の方を握って取っ手の方を差し出す、これが礼儀ですね。でも、そんな礼儀を小さなお子さんが知っているとは。驚きですね。
この一年生は凄い。そんな礼儀通りに鋏を返されたら、ちょっと言葉が出なくなります。そして、その一年生を抱き締めてしまうことでしょう。
そんな驚きを一句にしたためる作者の感性にも感服です。
童歌聴きつつ食ぶる桜餅 進藤 正
わらべ歌を聞きながら口にする桜餅。作者は、きっと、幼少の頃のお母さんの手作りの桜餅を思い出しておられることでしょう。食べ物にも事欠いていた時代だったことでしょう。それだけに桜餅を包む葉の塩味、餡の甘さが全身に染みわたり、涙が出るほどの嬉しいおやつだったこと、この私も思い出しています。
鷹羽狩行さんの句に〈父母ありし日は飢ありて桜餅〉というのがありますが、桜餅というと、そんな時代の日々が蘇って来るのですね。そんな意味では、〈童歌聴きつつ〉の一語がとても雄弁です。
風なきに夜桜はらと散りにけり 髙橋 保博
これまで豪華に咲き誇っていた桜がピークを過ぎたのでしょうか、風もないのにひとひら、またひとひらと散り始めました。夜空からはらはらと降って来る花びら、これまでが華やかだっただけに寂しさが募ります。そうした場面を捉えて、とても叙情ある一句となりましたね。
もし、夜風があって、その風に花びらが散らされているというと叙述だと「原因と結果」の説明になってしまいますが、それだけに〈風なきに〉の措辞が効果的なんですね。
白壁に白極めたる花水木 行竹 公子
この句を一読して、ふと頭に浮かんだことは、ユトリロの描く白壁を背に真っ白の花水木を咲かせてみたいなという想いでした。
作者の想いとはだいぶかけ離れた想いかも知れませんが。でも、俳句の読み手にそんな思いをさせるのも、それだけの力のある句だからです。
作者の詠んだ〈白壁〉は、きっと蔵壁とか城跡の壁なのでしょうね。白い花水木が、その白壁に溶け込んでしまうかと思うくらいに白い壁なのに、かえって花水木の白さを際立たせている、不思議な、いや、ロマンのある情景です。
陽に染まり地に波打てる芝桜 越智加奈子
一読して、秩父の武甲山を背景とした芝桜の広がりを連想しました。私の地元に近いところです。
場所は違うと思いますが、桃色、ときに白や藤色の毛氈を地に広げたような風景は素晴しいです。
その素晴しさは言葉が出なくなるほどですが、作者は、そのような情景に〈陽に染まり地に波打てる〉と動きを加えて描写しました。羨ましいほどの表現力。
寒暖の予測難し花のころ 河井 浩志
暖かくなって一気に開花したかと思うと、コートを着て花見をするほどの寒さがやって来る、本当に花のころの寒暖の予測は難しいです。
三寒四温という晩冬の季語がありますが、桜の咲き出す時期にも使ってみたくなります。
花冷えの中での花見の最中に寒さをこぼす同僚に酒を勧めながら〈花冷えの君も単身赴任かな〉とジョークを飛ばしたことがあります。
でも、綺麗な夜桜を仰いでいると、寒さも単身赴任の寂しさも忘れてしまうことでしょう。