若葉集前々月号鑑賞         伊藤たいら

 

 懐かしい人との久しぶりの出合いなど、よき人との出合いに感情が高ぶることがあります。そうした素敵な出合いの感動を一句にする、是非、チャレンジしてみたい句づくりの一つですね。
 考えてみると、そうした素敵な出合いは人間関係だけでなく、自然の情景など数多くあります。そんな場面に出合うと、私は、しばし目を瞑り、その感動が胸にしっかりと染み入るのを待ってから句づくりを始めます。すぐに言葉が出てこない不器用な私なりの手法です。

雨音を秋の声かと聞く夜かな       小谷  愛

 夜の窓を静かに打つ雨の音に秋の訪れを感じている作者。その秋の訪れを〈秋の声〉と表現しました。詩人ですね。羨ましいほどの感性です。この夏は、史上まれに見るほどの暑さだっただけに、新涼を待つ作者の感覚が研ぎ澄まされていたのでしょう。
 〈薄雲を透き煌々と月今宵〉の句も、やはり研ぎ澄まされた感性があってこその句。素敵です。

新涼や寄り来る波のさはさはと      星私 虎亮

 〈さはさはと〉寄せ来る波、海岸に寄せる波ではなく、余呉湖あるいは作者の住まいに近い十和田湖などの湖畔に寄せる波と想像させていただきました。そして作者とともに〈新涼〉の味わいを堪能させていただきました。
 私の故郷の猪苗代湖や檜原湖の秋始めの情景が胸を過りました。〈新涼〉そして〈さはさは〉と寄せる波、この二つの措辞の取合せの効果ですね。

秋灯の一つとしての屋台かな       岡田 寛子

 齢を重ねるにつれ、春の灯しのもとで飲む酒より秋の、ちょっと侘しげな灯の下で飲む酒が旨いと感じるようになりました。帰りがけの路地裏などで屋台の店を見かけると、薄暗い灯の下で立飲みのコップ酒ということになってしまいます。
 そんなことを思いながら、拝読させていただきましたが、気がついたら、作者は女性でした。きっと、秋祭などの華やかな境内の露店の一つにあった屋台の灯に着目されたのだろうと思います。それもまた、味わいのある情景ですね。

しぐれ虹あるか無きかの日の中に     扇谷 竹美

 冬の始めに日本海側の地を旅すると、この句のように〈あるか無きか〉の淡い虹を見かけます。とっても淡い〈しぐれ虹〉です。
でも、こうした虹が見られるのも限られた時期で、まもなく雪催、そして本降りの雪の季節となり、もう虹は見られないのだそうです。そうした限られた時期の淡い虹だからこその趣を作者も感じておられたことでしょう。
 そんな虹を見ながら、〈消えさうな虹美しや消えてなほ〉なんていう拙い句を詠んだこともありました。

しやぶり尽くす鯛の兜煮秋に入る     福原 正司

 料理は、私の趣味の一つです。その腕前を友人たちに見せつけようと思い、自宅に招いて鯛の兜煮をご馳走したことがあります。ある友人は、御飯がすすむと言って〈しゃぶり〉尽くし、ある友人は、お酒がすすむと言って、やはり〈しゃぶり〉尽くしていました。まさに食欲の秋でした。
 そんなことを思い出しながら、この句の〈秋に入る〉という季語との取合せの効果を考えてみました。二物衝撃という効果を生む取合せは、即かず離れずがよいと言われていますね。この句の魅力は、食欲の秋とは言わず、ちょっと距離を置いて〈秋に入る〉としたところにあると思います。
まさに即かず離れずの妙ですね。

鴉らの動かず鳴かぬ残暑かな       進藤  正

 夏の盛りはもちろん、九月の後半に入っても厳しい暑さが続いた今年。〈動かず鳴かぬ〉は、人生の盛りを過ぎた私なんかにも当てはまる暑さでした。でも、そんな厳しい暑さも俳句を作る人にとっては句材となるのですね。
鴉たちが残暑の厳しさに闊達さを喪失している姿すら見落とさない、その自然への関心の強さ、そして、その様子を季語の力を借りて一句にする。感服です。

無花果を販ぐ山辺の無人小屋       西山 厚生

 田舎で育った私、子どものころは無花果や柿は買ったことがなく、登下校の道の辺の木々から捥ぎ取って自在に食べていたものでした。でも、いつの間にか様変りして、そこに小さな棚を持つ小屋が立ち、ひと山五十円とかの売物になりました。もちろん無人ですが。
 当初は、何となく寂しい想いをしましたが、今は、そうした無人店が恋しくなっています。
 作者も、そうした山辺の無人店を見つけて懐かしい想いをされたのではないでしょうか。

ドビュッシー聞きて過ごせる秋の朝    平本  文

 心の和む曲を数多く残されたドビュッシー。それらの曲の特徴は、印象派の絵画のようだと言われるように、豊かな色彩を感じさせるような響きのあるピアノ曲ですね。なかでも、「月の光」という代表曲を聞くと、柔らかな朝の光が差し込んで来るようで、心が洗われ、さわやかな一日が始まる、そんな気持になります。
作者のおっしゃるとおり〈秋の朝〉にふさわしい曲というのが私の実感です。
 作者は、〈入院し半年過ぐる九月かな〉の句にあるように長く入院されていたとのこと、おそらくドビュッシーの心和む曲を聞くことが一つの救いだったのかも知れませんね。ご回復を祈ります。