今月の著作・句集

☆執筆☆播广義春

田島和生著 句集「暁紅」

著者は昭和十二年十二月二九日石川県加賀市生れ。金沢大学法文学部哲学科卒。五一年沢木欣一主宰「風」同人。六〇年林徹主宰「雉」創刊同人。平成十四年超結社「晨」同人参加。二〇年「雉」主宰継承。令和三年「晨」雑詠選者。六年「雉」創刊四十周年記念大会開催。句集『青霞』『鳰の海』『天つ白山』、著書・編著書『文学に登場した播磨の昨今』『新興俳人の群像「京大俳句」の光と影』(俳人協会評論賞)、その他。現在、俳人協会評議員、日本現代詩歌文学館評議員、大阪俳句史研究会会員。本書は第四句集で帯に
暁紅は命の色と思う。この世に生を得、生きとし生けるものの命の色と思う。俳句はものの命をとらえ、讃え、詠みあげる。俳句には力がある。
と記す。以下、同じく自選十二句より
はだれ嶺を統べて白山雲捲けり
湖を揺さぶる比良の荒れじまひ
雉のこゑ一徹にして還らざる
めんどりに玉子もらつて冬籠
東京四季出版

工藤泰子著 「やんぬるかな 黄」

著者は昭和二三年山口県岩国市生れ。「運河」「遥照」「鳳」「湖心(2012年終刊)」所属。「木偶の会(ブログ)」管理人、公益社団法人俳人協会会員、浅口市文化連盟会員、他。句集「葉風ハーフ泰夢タイム」、岡山文学選奨「魔方陣」受賞、京都府知事賞受賞。2020年『やんぬるかな赤・青』上梓、滑稽俳句協会報年間賞「天」受賞、俳人協会評論賞候補。
浅口市文化協会誌「遥照」に連載の随想「やんぬるかな赤・青」に続く三冊目で、104から150までの記事を纏めたもの。祝句は浅井陽子「鳳」主宰。帯文は谷口智行「運河」主宰で以下を記す。
大花野声をあげてもいいですか  泰子
空間に散らばる音、心象、映像の断片、表現の豊穣・・・。渾々と湧き出る言霊が透明な糸で秩序立てられてゆく。その人が微笑むと、瞳の奥にキラと光るものを感じ、不思議な高揚感に襲われ、僕はたじろぐ。光は哲学者のそれであり、霊媒師のそれでもある。僕はいつしかその人を「ひめさま」と呼ぶようになった。噫、已んぬる哉!
私家版

坂本宮尾著 「竹下しづの女の百句」

 著者は一九四五年大連生れ。「夏草」主宰山口青邨の指導を受ける。「夏草」終刊に伴う「天為」、「藍生」の創刊に参加。評伝『杉田久女』で俳人協会評論賞受賞。句集『天動説』『木馬の螺子』『別の朝』他。著書『真実の久女』『竹下しづの女』。俳人協会理事。俳誌「パピルス」主宰。
 俳人竹下しづの女(一八八七~一九五一年)は福岡県京都郡稗田村(現、行橋市)生れ。福岡女子師範学校(現、福岡教育大学)卒業後、教員生活を経て結婚、二男三女を儲ける。大正八年、夫の代作をきっかけに俳句を始め、吉岡禅寺洞・高浜虚子に師事。昭和八年夫が急逝、図書館勤務をしながら子育てを行う。十二年長男龍骨(俳号)が俳句連盟を結成し機関誌「成層圏」を刊行、しづの女は中村草田男とともに学生を指導。十五年句集『颯』刊行。龍骨、終戦直前に逝去。しづの女は没年まで九大俳句会の学生を指導。「ホトトギス」にあって主観を詠みたいと願い、表現法を求めて挑戦を重ねた大正期の女性俳句の先駆者の一人。代表句〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉
 ふらんす堂

☆執筆☆小林伊久子

奥名春江著 句集「遠空」

 【「自然と人間の関わりを見つめ、人間存在のまことを探る」という「春野」の理念を純粋に引き継ぎ、師・黛執の死を超えて徐々に見え始めたものとは。】の文字が帯を飾る。自選十句より
桃さくら私はただ眠いだけ
海よりも眩しく大根干されあり
珠のごと佐渡を抱きて冬がすみ
暖かしぶつかり合ひし事さへも
致死量のことばレースの小袋に
銀漢を巡るとすれば貝の舟
令和元年から五年までの作品を収録。待望の第五句集だが、刊行直前の六月一五日に逝去。「令和六年初夏」とあるあとがきには「俳句表現という翼をいただき、多忙かつ充実の日々、その等身大のこもごもが、描出できればと願うのみである。」と記されている集大成の一書。
一九四〇年神奈川県生れ。八〇年黛執に師事。九二年角川俳句賞受賞。九三年黛執「春野」創刊同人。二〇〇五年「春野」編集長。一五年「春野」主宰就任。二〇年「文學の森賞」受賞。句集『沖雲』『潮の香』『七曜』『春暁』。俳人協会幹事。
本阿弥書店

飯田 晴著 句集「まぼろしの雨」

 著者は一九五四年千葉県生れ。八八年「雲雀」入会。九七年「魚座」創刊参加、今井杏太郞に師事。二〇〇六年「魚座」終刊。〇七年鳥居三朗主宰「雲」創刊参加。一六年「雲」主宰継承。句集『水の手』『たんぽぽ生活』『ゆめの変り目』。俳人協会評議員。千葉県俳句作家協会理事。「墨BOKU」同人。
 二〇一八年から二四年春までの三一一句を収録。集名は〈古セーターまぼろしの雨棲みゐたり〉に因る。鳥の十句より
着ぶくれて鴉の森に隠るるか
白鳥は水に囲まれつつ来り
麦秋や死の数に鳥ふくまれず
銀漢のかたむきて鳥こぼしけり
口笛の稽古つばめを待つてをり
こゑといふ糸引けば小綬鶏がほら
 「いま、というときを詠んでいるつもりでも、そのものがもつ時間や記憶を受け取っているのだと思うことがある。不意にひらかれる扉は、私のあずかり知らぬ思いを届けてくれる瞬間でもある。」とあとがきに記す。時間や記憶をあやつるような浮遊感のある一書。
ふらんす堂

永﨑孝文著  日本人の心に生きる
聖徳太子の「十七条憲法」

 『「十七条憲法」広義』『教養として読んでおきたい「十七条憲法」』に続く「憲法十七条」に関する三部作の一書。二〇〇九年自作出版の『日本人なら一度は読んでおきたい「十七条憲法」』をもとにしている。「〈十七条憲法〉の心に触れ、いのちに触れて、その真義をわが生活に活かすこと、それが〈十七条の憲法〉の精神に親しむ道である」の序文で始まる。「十七条憲法」は「役人の服務心得や政治倫理にとどまるものではなく」「〈人を養う〉いわば〈人間学〉としての精神を読み取ることができる」と〈おわりに〉に記す。「聖徳太子実在説・虚構説」「聖徳太子真作説・偽作説」とは一線を画し、「十七条憲法」の条文そのものに焦点を当てた読み応えのある一書。
 著者(号:淡泉)は一九五〇年奈良県生れ。七四年京都産業大学卒業、クラボウ(倉敷紡績㈱)、藤沢薬品工業㈱(現、アステラス製薬㈱)に勤務。二〇〇三年三月早期退職、四月より六年間京都大学中国哲学史研究室に在籍、東洋史を学ぶ。
育鵬社

☆執筆☆山内英子

峰崎成規著 句集「遊戯の遠景」

著者は、昭和二三年生れ、平成二四年「沖」入会、同二六年「沖」新人奨励賞受賞、「沖」同人、同二八年第十六回手児奈文学賞受賞、同二九年「沖」珊瑚賞受賞、令和三年「沖」五十周年記念俳句コンクール第一位、同四年「沖」同人会幹事長、俳人協会幹事。
句集『銀河の一滴』に続く第二句集である。能村研三「沖」主宰は、帯文で
俳句に向かう時は、ギアチェンジしてもう一人の私の眼から、世界を「遊戯の遠景」として眺め、俳句に作り上げている。それ故に詩性が宿り、そこから「物の見えたる光」が表出してくるのだろう。
と記す。自選句から
実印にわづかな擦れ余寒なお
休校の百葉箱へ花の雨
祭笛尽きて小若は母の胸
 この句集は、眼前に確固として存在する対象物を描写した句作りではなく、逆にそれを見詰めている自分の視点(心)の在りどころ、揺れどころを見つけるために詠み続けた行跡です。
とあとがきに記す。
角川書店

石井 稔著 句集「顔の原型」

 著者は、一九五八年東京都生れ、一九九八年「好日」入会、二〇〇一年「青雲賞」受賞、二〇一〇年「好日賞」受賞、二〇二三年「白雲賞」受賞、現在「好日」白雲集同人、現代俳句協会会員。
 第一句集『月曜日の茸飯』に続く第二句集である。収録句より、
万物に色あり木瓜の花の咲く
青々と雨音のして豆ごはん
東京は故郷ベランダに茄子の花
かあさんはソファーの長さ小六月
朧夜のクラリネットに手の温み
武器持ちしことなきわが手衣被
話すやうに書く手紙なり桃の花
追ふでなく振り向くでなく年用意
蝶は自由飛ぶも止まるも死ぬことも
物すべて垂直に落つ菊日和
冬の日の扇に開く色見本
 俳句に詠われる人間の心は何ら変わることがないということです。コロナ禍は、そんな確信を私に与えてくれました。
とあとがきに記す。
微笑みが顔の原型草の花
 句集名になったこの句と響き合う。
 俳句アトラス

大久保文夫著 句集「風騒」

 著者は、昭和十二年東京都生れ、平成十年千葉県生涯大学校俳句部入部、同十七年「いには」入会、現在「いには」同人、俳人協会会員、千葉県俳句作家協会会員。
 村上喜代子「いには」主宰は序において
わが影を砂漠に置きし初景色
 単なる旅吟行ではなく、その地に立った実感と感懐が伝わってくる。空漠と広がる砂漠に自分の影を刻印し、己を奮い立たせているようだ。日本に帰り着くと、また佐保姫を追いかけ、西行や芭蕉の後を追い、北へ西へ東へと旅立つ。まさに風騒の人である。
と記す。主宰選より
万緑の山を抉りて黒部川
初明りものみな色を戻しけり
やあと云ひおうと応ふる年忘
いつしかに桜隠しとなりし雨
百代の過客のひとり初日浴ぶ
 句集の最後にこの句が置かれている。
一陽来復地球儀まはし旅思ふ
ますますのご健吟とご健康をお祈りする。
 朔出版

☆執筆☆福長まり

秋山博江著 句集「全肯定」

 著者は一九四九年広島県三次市生れ。二○○三年「藍生」入会。二○一七年「藍生」新人賞受賞。また小説家として一九八四年小説『海から』で第16回中国新聞新人登壇賞。二○○一年『谷間』で第35回北日本文学賞選奨、二○一四年『訣別』で全国同人誌最優秀賞読者賞。他に、『水の領域』『樹木の話』、エッセイに『クールベからの波』『花のクロニクル』、詩画集に『荒地野菊』等。本書は第一句集。
作句年に沿って五章よりなる。
初花や生まれなかった子のひかり
 帯に、「藍生」誌で選評を得た亡き黒田杏子師の一文が、序で、杉山久子氏が作品を通し、敬愛をもって著者を語る。
 俳句や小説の師、友を続けて送った著者は、激動混迷を深める世界や日本の中で、「一本の杖」として俳句が支えてくれたと「あとがき」に記す。自選句より
フリルから乾くブラウス百千鳥
木の芽和おぢいさんにもある未来
広島忌被爆聖書の炭化文字
全肯定全肯定と踊りけり
老いてきて忌日まみれに熟し柿
 ユニバーサルポスト

岡田耕治著 句集「父に」

 著者は一九五四年大阪府泉南郡岬町生れ。一九六八年川口芳雨の指導のもと俳句を始める。一九七二年同人誌「獣園」「海程」「花」に所属、一九七八年鈴木六林男に師事、「花曜」同人。一九九七年第二六回花曜賞受賞。二○○五年「花曜」終刊、「光芒」参画。二○○九年「香天」創刊、代表。句集に『学校』『日脚』『使命』。本書『父に』は第四句集。
 長年学校教育に携わり、現在もなお大学で俳句指導にあたる。一方俳句界における活躍等々、本書巻末の年譜に詳しい。
 本書は二○二一年から二三年の三年間の作品から構成されており、「番号札」「音源」「安静」のテーマで三九一句が所収されている。久保純夫氏が「受容と均衡」と題して、集中の作品を取り上げ、作品の内包する句の世界から著者像を浮かび上がらせる。集中「父逝く十八句」より
短夜の父の目覚まし時計鳴る
夏布団押しやる足の細さにて
命終の父に耳あり青葉木菟
苦しまぬ口となりたる真綿かな
百合ひらく仏身として横たわり
 銀河書籍

蔵本芙美子著 句集「夜の梯子」

 著者は一九四七年徳島市に生まれる。二○○九年「ひまわり」入会。西池冬扇、西池みどりに師事。現在同人。「棒」同人。俳人協会会員、現代俳句協会会員、日本俳人クラブ会員。句集に『魔女の留守』。
 本書は第二句集。句集名は次句より
花は葉に夜の梯子の届く先
 帯に、西池冬扇「ひまわり」会長が
そら色のぶらんこ空へいったきり
 うららかな春の日、公園でそら色のぶらんこを漕いでいる少女がいた。気が付くとそのぶらんこも少女もどこかへ消えていた。蔵本芙美子の俳句世界には異空間に通じるドアやトンネルが開いている。
と記す。本書は、二○一五年から二四年までの作品から、「向こうの向こう」「雨戸の癖」「拾った螺子」「逆さ箒」の四章に三四九句を所収。自選十二句より
立春大吉銭湯の湯が熱い
鳥帰る方へ堤が伸びている
春ふかく天地無用の箱が来る
春ショール今日ダンサーは踊らない
梅雨の月こちらが異界かも知れぬ
 ウエップ