談話室 ≪総合誌・俳誌から≫

 

名句水先案内       小川 軽舟


当り日の荷を仕舞ひゐる酸茎売   朝妻  力
 句集『伊吹嶺』(二〇一二年)所収。朝妻力(一九四六年~)は皆川盤水に師事、新潟出身ながら大阪の俳人の集まりに欠かせない存在である。この句の酸茎は上賀茂あたりの生産農家が漬けて洛中を振売りするものだろう。今日は殊の外よく売れたらしい。当り日という言葉に味があり、にんまりした表情で帰りの荷造りをする様子が見えてくる。京都の底冷えのする寒さはまだもう少し先である。

虹ノムコウ        大瀬 俄風

   山田 佳乃主宰「円虹」三月号
      「俳句」一月号(角川文化振興財団)
好き嫌ひの激しき子らや節料理   朝妻  力
お節料理に少しも箸をつけない子どもたち。伊達巻や、 栗きんとんのような甘いものばかり食べていて、大人とし ては、こんなに好き嫌いがあるのでは将来が心配になる。 けれども、自分がまだ幼かった頃を思い出してみよう。な ますが酸っぱいとか、田作りが固くて噛めないとか、今の 子どもと同じように好き嫌いを言っていたのではないだろ うか。そもそも、正月からだらしなく酔っ払っている大人 たちを横目に、酒なんて臭くて苦いもののどこがおいしい のかと忌々しく思ったことがあるのではないか。味覚は、 年をとるのにつれて変化するもの。長い目で見守ってやろう。         新年詠十句「去年今年」より

現代俳句の鑑賞      岸本 隆雄

   伊藤 瓔子主宰「ひいらぎ」3月号
球蹴る子縄を回す子日脚伸ぶ   朝妻  力
  「俳句」2025・1月号「俳壇ヘッドライン」より
 我が家の住まいの近くに有栖川公園があり、広場では子供たちがボール投げや縄跳び、鬼ごっこと春塵を立てて走り回っている。しかしほとんどは外国人、子供の世界では外国人という認識は全くない様子が頼もしい。日常が俳句になり、日脚伸ぶという季語がとてもよく効いている。

現代俳句月評       松永 亜矢

   田島 和生主宰「雉」三月号
断捨離の候補を見やる師走かな   朝妻  力
       (俳句一月号「去年今年」より)
 「断捨離」という言葉、もとはヨガの思想のことらしい。 現在では、不要なものを処分し、身軽になって生活する考 え方のことを指す言葉としてすっかり定着している。一時 期、マスコミで盛んに取り上げられたことも記憶に新しい。 私が思うに、何でも捨てられない性分の人と逆の人、二つ のタイプに分かれるのではないかと考える。後者の私でも、 さらに家の物を減らしたいと思っている。ただ、実行する のはなかなか大変だ。時間と労力と覚悟が必要で、独断と いうわけにはいかない物もある。作者は捨てられない方の 人だろうか。そろそろ捨てようか、と日頃から気になって いる「候補」をちらと見る。毎年十二月になると同じよう な心境になるのだろう。ただ見るだけで終わるのだ。本当 に断捨離をしたいわけではなく、しないといけないとうす うす思っているのではないか。思い出のつまった品々をど うするかは意見が分かれるところだろう。いつの日か、作 者が断捨離を決断する日はくるだろうか。

現代秀句鑑賞       宇田川成一

   宮谷 昌代主宰「天塚」3月号
断捨離の候補を見やる師走かな   朝妻  力
         俳句一月号「去年今年」より
 断捨離はきりがない。押入れを開けるとそんな物が多くある。生きている内に使うこともないだろうと思っていても、思い出の品物だし、と考え出すと止まらない。結局物(ガラクタ)が何時までも残ってしまう。そうこうする内に一年が去っていく。あゝゝゝ、と言う感じだ。

総合誌の秀句鑑賞     阪本  彰

   梶谷 予人主宰「獅林」3月号
    四季巡詠33句「寺内町秋から冬へ」より
さやけしや格子も木戸も拭き込まれ   朝妻  力
 俳句巧者の吟行33句が揃っている。寺内町と呼ばれる 地域は全国に何ヶ所も散在している。作品の地は奈良今井町。筆者の近辺の富田林寺内町も有名である。それはさておき、連作なので一句目の最寄りの駅舎からスタート「大和棟構ふる駅舎秋高し」そして最終句「乾きたる音たて落葉吹かれくる」まで読むと吟行の様子、寺内町の様子がとにかくよく分かるのだ。何の衒いもなく奇想もなく描写が的確である。掲句古い街並みを表現しつくしている。富田林の寺内町でも各戸同様に磨き込まれた格好であった。全句季語との調和に破綻なく魅力ある吟行句である。

わだつみ         中島 紀生

   手拝 裕任主宰「岬」3月号
▽「雲の峰」(一月号)より
蜜柑剝く幼時の茶の間思ひつつ  朝妻  力
 かつての茶の間には家族の団欒があった。真ん中に炬燵 があり、その上には蜜柑が盛られている。蜜柑を剝くたび に当時の思い出が一つずつ蘇ってくる。新潟県ご出身の作 者には雪の中の暮らしであろうか。倒置法が回想の句にふ さわしい効果となっている。

小栗栖に明智の気配笹子鳴く   朝妻  力
 秀吉との戦に敗れ逃げていた明智光秀が、野武士に討た れたといわれる地が京都市伏見区東部の小栗栖。笹子が鳴 く当地へ通りかかるとその気配がしたというのである。NHKの大河ドラマで、従来の謀反人のイメージが変わった 光秀。主宰は光秀ファンとみたが、いかが。

現代俳句評        渡辺 慢房

   河原地英武主宰「伊吹嶺」3月号
大らかに甘き酢飯や運動会    佐野 瑞季
(「俳句四季」十一月号)
 運動会の句は、「運動会あるある」を如何に見つけるかがキモである。運動会と言えば思い出すものの一つが、昼に親と一緒に食べるいなり寿司だが、それをそのまま詠んだのでは陳腐な句になってしまう。しかし、ここでは中に詰める酢飯に着目し、それを「大らかに甘い」と表現したことで、類想の無い句となった。
 甘い味が好きな子供のために、母親は甘めの酢飯を拵え る。酢や砂糖の分量はいちいち計ったりせずに、目分量な のだ。ちょっと砂糖が多いかな?と思っても、まぁいいや である。それを、煮た油揚げにぎゅうぎゅうと詰め込む肝っ玉母さんの姿が浮かんでくる。
 昔は、運動会そのもの、もっと言えば社会自体が大らかであった。小学校の運動会は町や村を挙げて行われ、万国旗の下で大人たちは酒を酌み交わしたりもしていた。大人も参加する地域対抗リレーでは、捩り鉢巻きに地下足袋の棟梁が、赤い顔で駆けたものである。そんな古き良き時代の運動会の様子が次々に思い出される、楽しい句である。

名家秀詠         戸恒 東人

   戸恒 東人主宰「春月」3月号
枝ごとに濃淡違へ冬紅葉   朝妻  力
                 「雲の峰」12月号

寄贈図書         工藤 泰子

   佐藤 宗生顧問「遙照」三月号
枝々と鳥声残し山眠る     朝妻  力
元日や時ゆるやかにしづやかに  〃
初声を散らし餌を欲る雀どち   〃
生駒嶺に孤雲動かぬ寒四郎    〃
角打ちの枡の香ゆかし年始   高野 清風
炉話や十三を打つ古時計    中谷恵美子
二期作と見紛ふ宇陀の冬景色  播广 義春

拝受俳誌・諸家近詠    徳重 三恵

    外山 安龍主宰「半夜」3月号
旅愁湧く智恵子の空の冬ぐもり  伊藤たいら

他誌拝読

    永沢 達明主宰「凧」3月号
「雲の峰」一月号  朝妻 力主宰
この年は二十日も遅き冬紅葉 
蜜柑剝く幼時の茶の間思ひつつ 
越屋根に雉鳩の鳴く小六月 
小春日や鬼のパンツといふ遊戯 
栗餡のまろく香れる亥の子餅 

令和俳壇

      角川書店「俳句」二月号
 森田純一郎 推薦 
紙漉の水の重さをこぼしけり   小林伊久子
 和紙の材料である楮や三椏などの繊維を水に浸し、その液を木枠の中の簀に流し込む。繊維を均等かつ、しっかりと絡み合わせるために簀を何度も揺り動かす。重い水を簀からこぼしながら素晴らしい和紙が出来上がるのである。
 森田純一郎 秀逸
冬紅葉照る布引の歌碑の道    角野 京子
 野中 亨介 佳作
紙漉の水の重さをこぼしけり   小林伊久子
 五十嵐秀彦 佳作
紙漉の水の重さをこぼしけり   小林伊久子
 櫂 未知子 佳作
さざれ石の一部となりぬ冬の蜂  小林伊久子

第二十六期熊本俳句ポスト

 入選
猫座る漱石の家秋深し      小山 禎子

アンジュ俳句会 社会福祉法人庄清会

 3月            指導 角野 京子
灯を入れて初めて飾る雛人形  江草 孝子
聞こえそう五人囃子の笛太鼓  芝池フランク
雛祭娘と作るちらし鮨     新庄  昌
尼寺の庭の箒目ひな祭     高見 智子
蹲踞の五郎太に立ちし雛二つ  中谷 重美
春雷の音を遠くに夢の中    西岡久仁子
小豆粥おかわりをして一人かな 松本津裕子
ままごとの続き顔なる雛の客  角野 京子

京都大原吟行記    角野 京子

   俳句四季令和7年2月号

 「雲の峰」創刊三十五周年記念祝賀会が十一月十日京都ガーデンパレスで開催された。ここは京都御所の蛤御門前に位置し、入口付近に「土御門内裏跡」の石碑が立つ。来賓二十三名のご出席のもと、総勢百十三名の和やかな祝賀会であった。翌日の記念吟行会は、朝妻「雲の峰」主宰と会員に加え、来賓の伊藤伊那男「銀漢」主宰、染谷秀雄「秀」主宰、西池冬扇「ひまわり」会長もご参加くださる。三十二名の一行は千里山交通の二台のバスに分乗し、午前八時三十分出発した。
土御門内裏の跡や京小春     三代川次郎
短日や御所の鬼門の猿見上げ   藤田 壽穂

大原宝泉院
 車中で伊藤伊那男先生から、蛤御門の変、秀吉が御土居を作った城塞都市としての京都、さらに平安遷都についてレクチャーを受けながら洛外の大原に到着。ハンカチを結び旗に仕立てて吟行が始まる。大原女の小径の入口で見事な嵯峨菊に見とれていると、店主に「修学旅行ですか」と声をかけられる。呂川の川音は高く、参道の土産物屋も大原らしい品揃え。石蕗の花が処々に明るさを添え、冬桜が迎えてくれる。三千院を通り過ぎ、律川を渡って一番目の吟行地の宝泉院へ。
紅葉見や旗を仕立てて大原へ   角野 京子
大原道散りし茶の花踏まぬやう  岡田万壽美
石蕗の花女ひとりの歌碑に添ふ  播广 義春
嵯峨菊の大原仕立て小間物屋   染谷 秀雄
俳人の修学旅行冬うらら     髙木 哲也
呂と律のせせらぎ耳朶に小六月  播广 義春
熊谷の腰掛け石に綿虫来     伊津野 均
満開となりて淋しき冬桜     染谷 秀雄

 宝泉院は、声明の根本道場「勝林院」の僧侶の住まいとして平安末期に創建された。僧たちは声明の音階をサヌカイトの石盤で確かめたという。客殿でお抹茶を頂きながら南側の樹齢七百年の五葉松を眺めてしばし憩う。額縁庭園の西側には水琴窟があり、竹林の向こうに大原の里を望む。廊下の天井は血天井と呼ばれ、伏見城の戦で討死や自刃した侍たちの供養のために血痕の床板を天井板にしたもの。寺の歴史や庭の造りなど案内の女性の話に聞き入る。
大原や冬日は仏間まで廻り    伊藤伊那男
小春日や五葉の松の影ゆたか   小澤  巖
冬空を透かし凜然五葉松     住田うしほ
響き合ふ水琴窟や冬ぬくし    岡山 裕美
武士の気配身に入む血天井    福長 まり
冷まじや足跡残る血天井     山内 英子
はきはきと語る案内のもんぺかな 原  茂美

寂光院
 二番目の吟行地寂光院へ。バスを降りると観光客は少なく特産の野菜畑が広がる。ひなびた景色なれど懐かしい。民家の玄関先には草花や野菜が育てられている。戸口には護符の角大師が張られ、吊し柿が干されて丁寧な暮しぶりがうかがえる。紅葉の名所らしく楓が色づきはじめていた。そして途中で出逢ったのは鷹の仲間の鵟(のすり)。幼鳥なのか人を怖がらず虫を捕らえて食べている様はまさにハンターの目。間近でじっくりと観察することができた。
綿虫に慕はれ歩く大原路     朝妻  力
山の日を集めて青き冬菜畑    福長 まり
大原女の休んだ石よ油滴草    西池 冬扇
小春日の戸口に護符の角大師   角野 京子
干し柿は主の不在の軒下に    青山 裕一
はぐれしか日差しの中を冬の蟻  岡田万壽美
ひそやかに騒がれてゐる鵟かな  原  茂美
おばしまに嘴擦る鵟泰然と    酒井多加子

 寂光院は天台宗の尼寺で推古二年、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために創建された。初代住職は聖徳太子の御乳人の玉照姫。第二代は阿波内侍で第三代が建礼門院徳子。源平の戦に敗れ、壇ノ浦で滅亡した平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔い終生をこの地で過ごされた。本堂右手裏山に建礼門院大原西陵がある。
枯尾花諸行無常を思ふ里     三澤 福泉
身に入むや枯死せし松に太き注連 瀬崎こまち
清く激しく女院の里の冬の滝   伊津野 均
木の葉散る汀の池の鎮もりに   酒井多加子
冬紅葉かつて女院の閑居御所   冨安トシ子
山陵を仰げばしばし木の葉雨   小澤  巖

 平成十二年未明に本堂や本尊の地蔵菩薩立像が放火に遭う。平成十七年に本堂が再建され、新本尊の地蔵菩薩立像が鎌倉時代の製作当時のままの美しい彩色で安置されている。火災により破損した旧本尊は修復され、黒く焦げた状態のまま無傷の胎内仏と共に収蔵庫に保管されており、玻璃越しに特別拝観することができた。また、宝物殿には平家物語ゆかりの品々が展示されている。
焼け仏に残る目鼻や冬ぬくし   櫻井眞砂子
身に入むや炎纏ひし地蔵尊    松浦 陽子
秋深し体内仏のがやがやと    西池 冬扇
安徳の舟のかけらや身に入めり  原田千寿子
灌頂の巻や平語の写本冴ゆ    小林伊久子
時雨るるや大原御幸は峠越え   伊藤伊那男

 当地は柴漬の発祥の地で、里人が建礼門院に茄子と赤紫蘇の漬物を献上すると大層お喜びになられ、「紫葉漬(しばづけ)」と命名したと伝えられている。味見をしながら柴漬や酸茎を買う。大原は伝統の本藍染も有名である。 
大原や軒端に酸茎樽並べ     藤田 壽穂
大原の紅葉一枚栞とす      小山 禎子
冬日濃し藍工房の白き壁     朝妻  力

古知谷阿弥陀寺
 次の吟行地は古知谷阿弥陀寺。駐車場にある門から杉林の中の参道を茸の群生や谷川の水音などを楽しみながら登るも長くて急な坂道が続く。大原でも阿弥陀寺の紅葉が一番美しいと言われ本堂の辺りには大木の楓が多い。境内は苔が美しく、丹精を込め育てられた大文字草や、みせばやなどが咲いている。
古知谷の風に尖れる冬木立    小林伊久子
参道の端に笑ひ茸列をなす    寿栄松富美
一張羅に色つくしけり笑ひ茸   志々見久美

 尾張国で生まれた木喰上人弾誓(たんぜい)は、九歳で出家して以降各地を転々として修行を重ね、慶長十四年に古知谷阿弥陀寺を開山するもその四年後に入定。その亡骸は現在も「ミイラ佛」として境内の石廟に安置されている。岩間から水がしみ出る中、懐中電灯を手に参拝する。
石龕に即身仏や冬ざるる     瀬崎こまち
岩窟の湿気のにほひ冬に入る   星私 虎亮

 また訪れたいという思いを胸に昼食場所の妙心寺花園会館へ到着し記念写真を撮る。吟行の興奮覚めやらず、ビールで乾杯し遅めの昼の会席膳をいただく。大原の里の風景と暮しと歴史に浸る六時間の記念すべき吟行であった。
湯豆腐に京の別れを惜しみけり  岡山 裕美