楽しい俳句 見~つけた

枝豆や阪神勝てばつつがなし      井村 啓子

 「雲の峰」は「俳句を楽しく」、学習しながら俳句を楽しめる「学習型結社」を目指しています。この句は正にそのスローガン通り。日常のさりげない素材を見逃さず自然体で飾らずありのままに表現されています。自在な詠み方に惹かれる軽妙でとても楽しい句と鑑賞しました。我が家でも夫は阪神、私は巨人。其々贔屓チームは異なりますが、枝豆やビールがあればより楽しくテレビ観戦しています。(吉村 征子)
 

小道具をかたげて所作る暮の夏     河原 まき

 真っ先に思い描いたのは映画「国宝」の一齣、小道具の藤の枝を〈かたげて〉踊る歌舞伎「藤娘」の場面です。難しい踊りだけでなく同時に役としての演技もこなす俳優さんの凄みに感嘆しました。〈所作る〉は「所作をする・踊る」の意。能・狂言をされている作者の体験句かもしれません。あまり馴染のない言葉ですが、それにより場面が定まり奥行のある句になりました。(小林伊久子)

満ち欠けをせぬ太陽や蟬しぐれ     新倉 眞理

 今年の夏の暑さは、格別でした。ぎらぎらと照りつける太陽、うるさいくらいの蟬の大合唱。太陽に満ち欠けがないなんて考えたこともありませんでした。確かにそうですね。もしも満ち欠けがあったら「今日は真っ暗だけど暑いね。」となるのでしょうか。作者の発想の豊かさに脱帽です。(田中よりこ)

遠くなる耳と暮らせば秋の風      小原ふみゑ

 わかるわかるの声が多く互選も沢山入りました。耳が遠くなって生活に少し不具合が出始めたのかもしれません。けれど、致し方無いことだと深く嘆かずに受け入れている作者の心持が感じられます。寂しい季語のようですが、暑かった夏が過ぎて心地よく吹く風にほっとするものです。耳が遠くなると自分と向き合う時間が増えるような気がしますね。「あるふあ句会」で一番初心の作者です。頑張ってるね!エールを送ります♪(岡田万壽美)

ひと家族入りて広がる踊の輪      小林伊久子

 盆踊が始まる時間だけれど、いつも参加される一家がまだのようです。近所の人達が待っていると一家がにぎやかに登場。ひと家族増えただけなのに、踊りの輪が大きく賑やかになった気がします。〈広がる踊の輪〉という表現からは、この家族を見守る人達の温かさが伝わってきます。踊りに参加している人達の笑顔が目に浮かぶほのぼのと楽しい一句です。(井村啓子)

甚平も余生も洗ひざらしかな      伊藤たいら

 現役でばりばりと仕事をしている時は、組織の一員としての立場、仕事先との付き合い。さらに年齢が上がり、役職になれば、服装も整え、隙なく緊張していなければならない。しかし退職し、余生を過ごす身になれば、誰にも気兼ねすることはない。ステテコ姿で、俳句を作ったり、短パンで買い物にも行く。甚平は、丈夫な素材でできており、何度洗っても色は褪せても気楽に着ることができる。余生も同じだ!長い人生で鍛えられ、色あせても丈夫だぞ!気楽に生きるぞ! 〈洗ひざらし〉という表現が笑いを誘う。(うすい明笛)









楽しい俳句見いつけた!
 皆さんが熱心に新会員を勧誘して下さっているのですが、ほとんどが空振り……。あれこれ伺ってみますと、「俳句??そんな難しいの出来ないよ!」と言われるのだそうです。そう言われると返す言葉がない……。
 季語や歴史的仮名遣や文語の活用などに気を配りますので、難しいのは事実。でも辞書や歳時記を引いているうちに、楽しくなってくるのも事実!そこで、
 初めは難しいと思うけれども思っていたよりも楽しいよ!
と言えるページを作りました。
 但し、始めからウケを狙ったり楽しさを狙ったりしたら大概は失敗します。俳句になる場面を発見する、日常の中で驚きを発見する、そんな気持で俳句を作ってみて下さい。なお、服部土芳の「三冊子」に、
名にめでて折れるばかりぞ女郎花
        我落ちにきと人にかたるな
此句、僧正遍照嵯峨野の落馬の時詠める也。俳諧の手本なり。詞卑しからず、心戯れたるを上句とし、詞卑しう、心の戯れざるを下の句とする也。
という一節があります。古い言い方ですが、俳諧の本質を突いているように思われます。興味のあるかたは読んでみて下さい。