連載 <俳句入門>   朝妻 力

●助動詞「し」の誤用にご注意

 何年か前、助動詞「き」の連体形である「し」の誤用を指摘した本が話題になりました。大方は納得できたのですが、一部に不適切な説明があったり、俳人を小馬鹿にしたり、他社の出版物の行き届かない点を嘲笑しながら、自著では著名俳人の俳号の文字を間違っていたり……。そんなことで、折角いい問題提起をしたのに、結果的には黙殺されてしまった印象の本でした。
 しかし、俳誌や総合誌でも相変わらず「し」の誤用がめだちます。『広辞苑』には過去回想と説明がありますし、『日本国語大辞典』は
 ①現在とは切り離された過去
 ②物語の段階からみてそれより以前に起こったこと
 ③未然形「せ」は常に接続助詞「ば」に連なって
  「せば」の形をとる
などと説明があります。
 ①は過去に直接体験したこと、②は直接見聞した以外、例えば物語などの中で起こったこと。いずれにしても過去を回想するための助動詞です。
 ③の未然形「せ」は常に「せば」の形をとるというのは、在原業平の
世の中に絶えて桜のなかりせば
         春の心はのどけからまし
の「せ-ば」ですね。「世の中に、もし桜が絶えて無くなったとしたら……」と、そんな意味になります。
この「き」の活用は次のようになります。
  未然 連用 終止 連体 已然 命令
  せ  ―  き  し  しか ―
つまり、終止形が「き」で、連体形が「し」ですね。
 前置きが長くなってしまいましたが、実は先日選句した中に
サイレンの音にもつれし夏の蝶
という作品がありました。いま話したことを念頭に、感想を聞きたいと思います。
――サイレンの音にもつれたという把握は独自性があっていいと思います。でも、いま目の前でもつれ合っているのですから、もつれしの「し」はおかしいような……。
 その通りですね。この作品でしたら
サイレンの音にもつるる夏の蝶
サイレンにもつれて高し夏の蝶
とすれば表現上のミスはなくなります。
 二句目の高しの「し」は形容詞の終止形です。そんなことで助動詞の「し」を形容詞の終止形と勘違いする例もあるように思います。

 例えば「追ふ」の連用形「追ひ」に助動詞「き」を接続する場合と、形容詞「高し」の活用を並べてみます。
         終止形  連体形
 助動詞「き」  追ひき  追ひし時
 形容詞「高し」 たかし  たかき山
となります。助動詞の連体形は「追ひし」、形容詞の終止形が「高し」となります。そんなことが混乱の一因かもしれません。作品の中に「し」が出てきたら、まず、
助動詞か、それとも形容詞かを考えてみましょう。
繰返しになりますが、助動詞の「し」は現在と切り離された過去を回想する「き」の連体形です。一方、形容詞の「し」は終止形です。
 つぎに、助動詞「き」の正しい使い方をみてみます。正しい例をあげますと、
 野菊のごとき君なりき  過去を回想
 兎追ひしかの山     過去を回想
 小鮒釣りしかの川    過去を回想
 この正用例を意識するだけで、ミスを防ぐことができると思います。
 それでは現在と切り離されていない過去、一瞬の過去を表現したい時にはどうしたら良いでしょうか。実はこれが助動詞「けり」なのです。
 広辞苑で「けり」を引いてみて下さい。
けり 助動詞 過去の助動詞キとアリとが結合したものとする説……略……
と説明があります。
 現在と切り離された過去を回想する助動詞「き」と、現在進行形を示す「あり」が結合したというのです。従って「けり」は「鳴きにけり」などと、たった今終わったことにも使えるわけです。

助動詞「き・し」の使用上の注意点
1 き(過去の助動詞)は活用語の連用形に接続し、未然・終止・連体・已然形のみに活用します。活用は次のようでした。
未然 連用 終止 連体 已然 命令
せ  ―  き  し  しか  ―
   具体例をあげます。
未然 なかりせば
連用 /
終止 野菊の如き君なり
連体 うさぎ追ひかの山
已然 追ひしか
命令 /

2 助動詞「き」はカ変動詞には
   こし・こしか、きし・きしか、のように両様に付  
  く。同じくサ変動詞には
   せし・せしか・しき のように付く

3 助動詞「き」の連体形と已然形はサ変動詞には未然
  形に接続する。「旗じるししし」を避ける。
  ×嫁しし子  ○嫁せし子
  ×為ししとき ○為せしとき
  ×蔵しし書  ○蔵せし書
 少々やっかいですが、実作の場合、この項目、『助動詞「き・し」の使用上の注意点』を気にするケースは殆どありません。ひたすら、
1 し・きは、現在と切り離された過去を示す
2 眼前のことに使うと誤用になる
と覚えて下さい。

●静かな・爽やかな は口語

 最近の誌上句会であった口語活用の作品を紹介します。
花散りて客も無口なラーメン屋
まつさらなノートの匂四月来る
十五夜や日々大切な余生なり
 これらの作品に共通しているのは「……な」という表現です。一読して間違いとは見えませんし、新聞俳句の入選作品にも「……な」はよくある形です。ところが、これは口語活用となってしまいます。「な」の受けている語をみますと、無口・まつさら・大切ですね。
 これらはどんな性質の語か、広辞苑でみてみます。
無口   品詞の説明がない
まっさら 品詞の説明がない
大切   品詞の説明がない

 実は広辞苑で品詞(名詞・動詞・助動詞・形容詞・助詞など)の説明のない語は、名詞であるということになっています。例えば「歩く」を引きますと《自五》とあります。これは自動詞五段活用ということなのです。
 ちなみに幾つかの語を引いてみます
うつ  打つ 《他五》  他動詞五段
ながし 長し 《形ク》  ク活用の形容詞
けり  けり 《助動》  助動詞という意味
を      《助詞》  助詞
というように品詞の説明があるのですが、広辞苑の執筆者が名詞であると判断した語には何の説明もありません。そこで、日本国語大辞典で同じ語を引いてみます。
無口   《名》(形動)
まっさら 《名》(形動)
大切   《名》(形動)
と、すべて(形動)という説明があります。この《形動》と言いますのは、形容動詞の略で、無口といのは、名詞であって、なおかつ形容動詞であるという意味なのです。
 そこで広辞苑で形容動詞を引いてみますと
文語では 「静かなり」などのナリ活用
     「泰然たり」などのタリ活用がある。
口語では だろ・だっ(で・に)・だ・な・なら
     形容動詞を品詞の一つとしない説もある。
とあります。
 ややこしいので、整理してみますと
     未然 連用 終止 連体 已然 命令
文語 なら なり なり なる なれ なれ
   たら たり たり たる たれ たれ
口語 だろ だっ だ  な  なら *
   *  と  *  たる *  *
 これでもややこしいので、実際の例で説明します。
文語 未然形 無口ならば
   連用形 無口なりけり
   終止形 無口なり
   連体形 無口なる
   已然形 無口なれば
   命令形 無口なれ
口語 未然形 無口だろ
   連用形 無口だった
   終止形 無口
   連体形 無口
   已然形 無口ならば
 ここで気づかれたと思いますが、「無口なり・無口なる」とすれば文語、「無口だ・無口な」とすれば口語ということです。

 皆さんの電子辞書にも広辞苑が入っているように、「雲の峰」でも語については広辞苑を基準にしています。広辞苑を引いても、形容動詞かどうか分からない……。どうしたら分かるかということですが、単純に言いますと
いと○○なり が成立すれば形容動詞
いと○○たり が成立すれば形容動詞
ということです。
 例句でいいますと「いと無口なり」「いとまっさらなり」「いと大切なり」はそれぞれ成立します。形容動詞に間違いないということです。そこで
花散りて客無口なるラーメン屋
まさらなるノートの匂四月来る
十五夜や日々大事なる余生なり
 などとすれば、少なくとも口語表現を避けることが出来ます。
 実際には「○○な」という言葉が出てしまったら、「いと○○なり」「いと○○たり」が成立するかどうか口誦してみることが一番です。「○○なり」「○○たり」と直すか、同じ意味を持つ形容詞に置き換えましょう。