連載 <俳句入門>   朝妻 力

●助詞「を」 基本的な性質

 つぎは、「てにをは」の「を」です。古くは間投助詞として、例えば古事記歌謡では、〈八雲たつ出雲八重垣妻ごみに……略……八重垣作るその八重垣を〉のように使われ、また接続助詞として〈夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを……〉のように使われました。ただし、俳句を作り、鑑賞する上では、「格助詞として動詞につながる」という基本的な性質を理解しておけば充分なように思います。

永き日のにはとり柵を越えにけり   芝 不器男
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ    山口 誓子
限りなく降る雪何をもたらすや    西東 三鬼
また一人遠くの蘆を刈りはじむ    高野 素十
羅や人悲します恋をして       鈴木真砂女
 以上は体言を受け、動詞につながっている例です。
行く春を近江の人と惜しみける    松尾 芭蕉
初蝶を夢の如くに見失ふ       高浜 虚子
やはらかき身を月光の中に容れ    桂  信子
 これらの例では途中に動詞以外の語が挿入されておりますが、結果的には〈惜しむ〉〈見失ふ〉〈容れ〉と動詞に接続します。

 動詞に接続するという性質を生かし、述語を省略することも可能となります。例えば
蜩や峠の茶屋は夕の灯を       仮 例
 とした場合、「ともす」が省略されることは一目瞭然です。次のような例もあります。
うは風に音なき麦を枕もと      与謝 蕪村
 古来、助詞による省略の極致と賞されている一句です。うは風は上風で、草木などの上を吹く風。上風を受けている「に」は、動詞につながる助詞ですが、つながるべき動詞が見あたりません。ここは「音なき麦を(感じる)」と、「感じる」という動詞が省略されていると見るのが妥当な所でありましょう。
 麦は熟れると独特の匂がします。その匂が風に運ばれて枕元にきたと言うのです。音なき麦とありますので、熟れた麦が音もなく揺れている、つまりそんなに強い風ではないという景が想像できます。
 同様に、〈麦を〉の「を」もまた「感じる」を省略していると理解できます。つまり「に」と「を」との二段構えで感じるという動詞を省略している作品。「に」と「を」という助詞を見事に働かせた一例です。

●省略される助詞 「を」

 ここでは実作でみられるミスをみていきます。ミスの原因は省略されている助詞「を」を見逃すというものです。

寒明の屋根に魔除けの獅子睨む     仮 例
 作者は「屋根の魔除けの獅子が、寒明の空を睨んでいる」と言いたいのでしょう。しかし句意は「作者が寒明の屋根に登って魔よけの獅子を睨んだ」となります。なぜそうなるか、原因は「睨む」という動詞にあります。動詞に他動詞と自動詞の区別があることはお分かりと思います。簡単にいいますと
 他動詞 …を…する   例 空を睨む
 自動詞 …が…する   例 桜が咲く
の違いです。辞書を引きますと、【睨む】他五などと書いてあります。「他」は他動詞という意味です。また【咲く】自五とあれば自動詞ということを示しています。
 睨むは他動詞でした。ということは「獅子睨む」は、「獅子を睨む」の「を」が省略されていると見るのが妥当なところ。ということで、作者が屋根に登って獅子を睨んだという意味になってしまいました。そこで
寒明の空睨みゐる魔除け獅子
としてみます。空睨むは「空を睨む」の「を」が省略された形ですので、作者の意図通りの表現となってくれます。
形代に祖父抱(いだ)く子も息を吹き
 抱くは他動詞ですから、「を」が省略されているのは前述の通り。となりますと中七の句意は「祖父を抱く子」となってしまいます。情景から言えばこれは無理ですね。
形代に祖父の抱きたる子が息を
としてみます。祖父が子を抱いたということがはっきりとします。また「形代に」「息を」としたことで、形代に息を吹いたと、「吹く」を省略することが出来ました。

君投げし林檎の描く放物線
 投ぐは他動詞。すると「君を投げた」となってしまいます。この場合は「君の投げし」と字余りにしてもいいのですが、君という作中人物が誰であるかという詮索を誘う結果にもなってしまいます。たとえば
抛りたる林檎の描く放物線
でも充分のように思います。
 助詞「を」は他動詞と密着しています。また、かなりの頻度で省略されます。それだけに注意を払いたいところです。