●助詞「に」1 基本的な性質
助詞の第二弾は「てにをは」の「に」です。これまでに紹介した例句を中心に、「に」がどのように使われているかを見てみます。
助詞「に」は、体言(名詞など)を受け、
①動詞につながる。
②助詞「は」「も」につながる。
③用言(動詞・形容詞)の連体形を受けて、動詞につながるという性質があります。
桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな 水原秋櫻子
鶫死して翅拡ぐるに任せたり 山口 誓子
海坂の暮るるに間あり実朝忌 鷹羽 狩行
達筆といふにあらねど懸想文 金久美智子
それぞれ照る・拡ぐる・暮るる・いふという動詞の連体形を受け、後の動詞につなげています。
流寓のながきに過ぐる鰯雲 上田五千石
行く道のままに高きに登りけり 富安 風生
鶏頭の黒きにそそぐ時雨かな 正岡 子規
それぞれ、ながき・高き・黒きという形容詞の連体形をうけて、過ぐ・登る・そそぐという動詞につながっています。
母恋し鍛冶屋に赤き鉄仮面 寺山 修司
僧を乗せしづかに黒い艦が出る 西東 三鬼
これらの例では、〈鍛冶屋に赤き〉、〈しづかに黒い〉と形容詞に続いているかに見えますが、結果的に、鉄仮面があるの「ある」、艦が出るの「出る」という動詞につながります。
俳句の世界ではこの動詞、助動詞につながるというダイナミックな性質を生かして、続くべき動詞を省略するということが日常的に行われます。これらの実際と失敗例などをみてまいります。
●助詞「に」2 動詞を省略する
前項では、助詞「に」の基本的な性質を調べました。私たちが普段使う「に」(格助詞)は、名詞・形容詞・動詞を受け、動詞と助動詞(けり)につながるという性質のあることが分かりました。ここでは動詞につながるという特徴を生かすということを、例句をみながら考えていきます。少々長くなりますが、以前に書いた部分を転載します。
盆梅が満開となり酒買ひに 皆川 盤水
ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 森 澄雄
見る者も見らるる猿も寒さうに 稲畑 汀子
これらの作品には句点の打ちようがありません。下五はすべて助詞「に」で言いさしにしているのです。実は、助詞「に」は動詞などの用言につながる性質があります。この性質を念頭に言いさし部分を検討しますと
酒買ひに 出かける。行く。
湯のやうに 見える。
寒さうに している。
と、述語にあたる動詞が、句点(切れ)もろとも省略されていることがわかります。助詞につきましては後の章で述べますが、ここでは
助詞「に」は動詞につながる
という性質を生かし、動詞と句点とをまとめて省略したということが言えます。
右は俳句の切れという観点から書いた文章ですが、助詞「に」の働きの一端を理解できるのではないかと思います。同じように「に」を使って続くべき動詞を省略した例句をあげてみます。どのような動詞が省略されているか、考えながら読んでみて下さい。
夜桜やうらわかき月本郷に 石田 波郷
竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎
美しき帰雁の空も束の間に 星野 立子
せりせりと薄氷杖のなすままに 山口 誓子
第一句目の「夜桜や」を読みますと、本郷にどうしたのだろうかという疑問が生まれてきます。疑問と言っても、それは瞬時に解決できる疑問。「うら若き月本郷にとあるから、これは月が出たということだな」と誰にでも解決できる疑問です。言い換えますと、読者にちょっとした知的ゲームを要求している俳句。これも一種の余情を生んでいるとみることができます。
さて、省略されている動詞をあげてみますと
夜桜やうらわかき月本郷に 出た
竹馬やいろはにほへとちりぢりに なった
美しき帰雁の空も束の間に 消えた
せりせりと薄氷杖のなすままに 動く
というようなことになろうかと思います。
これらの例から、助詞「に」で言いさして動詞を省略する場合は、句意が確実に伝わるように表現するということが大切であるということが言えると思います。
●助詞「に」3 句意を上五に戻す
以前、次の句を引いて、句意が上五に戻る文体を説明しました。
うぐひすの啼くやちひさき口あいて 与謝 蕪村
「口あいて」という連用形の言いさしは「啼く」に戻ります。結果的に
ちひさき口あいてうぐひすの啼く
となって一句の意味が完結するというものでした。前章で説明したように「て」は動詞に接続する助詞です。この章で検討している「に」も、動詞につながることはすでに述べました。つまり「に」も「て」と同じ働きをしてくれるということです。
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 高浜 虚子
この作品、「百の椿が三百に」と「に」で言いさしています。そして「三百に……」は結局上五に戻り、「百の椿が三百にゆらぎ見ゆ」と句意が完結してくれます。助詞「に」を「見ゆ」が受けているのです。
蕗の薹食べる空気を汚さずに 細見 綾子
生きてあれ冬の北斗の柄の下に 加藤 楸邨
やませ来るいたちのやうにしなやかに 佐藤 鬼房
鴨渡る明らかにまた明らかに 高野 素十
助詞「に」を受けるべき動詞が句の途中に配置されていることが分かります。句意はそれぞれ
空気を汚さずに蕗の薹食べる
冬の北斗の柄の下に生きてあれ
いたちのやうにしなやかにやませ来る
明らかにまた明らかに鴨渡る
となることは容易にお分かり頂けると思います。
ところで次の例はいかがでしょう。
郭公や韃靼の日の没るなべに 山口 誓子
鴬のこゑ前方に後円に 鷹羽 狩行
「没るなべに」という連用形での言いさしとなっておりますが、受けるべき用言(動詞)が見あたりません。しかし、郭公と言えば、その鳴き声を思うのが季語の世界。ここは
韃靼の日の没るなべに郭公が鳴く
として句意が完結することは疑う余地はありません。
鴬のこゑ……も同じ形です。前方後円墳を二つに分けて情景の深みを表出しました。
●助詞「に」4 助詞につながる
これまで「に」は動詞または助動詞(けり)につながるとして説明して来ましたが、実は同じ品詞である助詞のうち、「は」と「も」にも接続します。
助詞「は」につながる例
菊の香や奈良には古き仏たち 松尾 芭蕉
目には青葉山ほととぎす初鰹 山口 素堂
玫瑰や今も沖には未来あり 中村草田男
若狭には仏多くて蒸鰈 森 澄雄
助詞「も」につながる例
底紅の咲く隣にもまなむすめ 後藤 夜半
外にも出よ触るるばかりに春の月 中村 汀女
野菊とは雨にも負けず何もせず 和田 悟朗
ステテコや彼にも昭和立志伝 小沢 昭一
これらは「に」の性質と、「は」「も」のもつそれぞれの性質とが合わさって働いています。「は」「も」については後述しますが、単純に言えば
は 幾つかの中から一つを抜き出す
も 幾つかの中に一つを付け加える
という働きをします。例句をお読みになってその働きをご確認下さい。