常葉・照葉集前々月号鑑賞      三代川次郎


冬ぬくし姉が見せゐる逆上がり      井村 啓子

 小学校の体育で必ず実施するのが逆上がり。私も中々できず夕方遅くまで練習をした記憶があります。逆上がりは小学校の学習指導要領で決められているもので、子どもたちにとっては少しハードルが高いもの。逆上がりは努力をして成功するのに丁度いいぐらいの難易度だそうで、成功体験を積むために実施するようです。お姉さんは出来るようになったのを妹に見せているのでしょうか。それとも妹にそのコツを教えているのかもしれません。

初冬の奈良に薫れる御物かな       杉浦 正夫

断簡も御物の一つ秋麗          吉村 征子

 御物(ぎょぶつ・ごもつ・おもの)とは戦前は皇室の私有物であった絵画、書籍、美術品のこと。戦後は原則として国有財産となりました。掲句は正倉院展でのものでしょうか。杉浦さんの句は香木の蘭奢待を詠んだものでしょう。蘭奢待は足利義満、織田信長などの多くの権力者に所有されその一部が切り取られてきたといわれます。杉浦さんの一句はその香木が奈良という土地全体に香っているというような表現に惹かれました。吉村さんの一句は正倉院に所蔵されている断簡を詠んだもの。断簡は書物や絵巻物の切れ端のこと。その切れ端も御物の一つであるという少し突き放した表現が面白いと感じます。  

さつと来てさつと菰巻く二人組      原  茂美

 菰巻きは江戸時代から松を食い荒らす松毛虫の幼虫を駆除するために行われているもの。立冬の頃の風物詩。但し、掲句の面白さは上五、中七のスピード感。広い庭園の菰巻きなのでしょう。職人は初冬の日の短い一日で終わらせるためにきびきびと作業をしているのでしょう。〈さつと〉という言葉のリフレインが職人の所作を象徴する言葉として効果的と感じます。

ぐりとぐらの絵本好む子秋麗       藤田 壽穂

 『ぐりとぐら』は中川李枝子(作)、山脇百合子(絵)の姉妹による野ねずみの「ぐり」と「ぐら」が主人公の絵本シリーズ。シリーズ累計二千万部以上という大ベストセラー。私も娘たちへの読み聞かせに使いましたし、娘も子どもの読み聞かせで使っていました。シリーズ最初の「ぐりとぐら」の舞台は秋の森の中。そこで二人は大きな卵を見つけます。「ぐりとぐらはその卵を……」季語が読者を秋の森の中に連れて行ってくれます。

子育ての昭和の頃の毛糸玉        宇利 和代

 昭和二五年ごろから三十年ごろに家庭用の編み機ができ編物ブームが起こりました。そして昭和一〇〇年の今年は手編みがブームになっている様です。母が亡くなった後の整理で出てきたのが毛糸玉。それも十個以上ありました。作者も昭和のど真ん中で子育てをしてきた世代。セーターなどは手編みで作ることが多かったのでしょう〈子育ての昭和の頃〉という措辞が実感として伝わってくる一句です。

湯豆腐の湯気の向かうに誰も居ず     窪田 季男

 奥様が入院されしばらく一人暮しが続いた作者。昼間はなにかとやることがあり気を紛らわすことができますが、夕食のときにふと会話をすることがないということに気づきます。今までであれば湯豆腐の湯気越しに奥様との会話があった事でしょう。その相手がいないということに深い孤独感を覚えた作者がつぶやいた様な一句。

茅葺きに銅板の屋根冬ぬくし       小林伊久子

 十一月の総会の次の日に行った大原吟行での一句でしょうか。一読して宝泉院から寂光院へ向かう途中でこの景色を見た記憶がよみがえってきました。茅葺き屋根の上に銅の屋根がかぶせてある農家があり作者と言葉を交わしたことを思い出しました。

秋澄みて日差し眩しき盤水忌       住田うしほ

 先師の皆川盤水先生は晴れ男で有名でした。先生と吟行に行って雨に降られるということは殆どありませんでした。結社「春耕」では盤水晴れという言葉もありました。先生が亡くなったのは八月二九日。秋とはいえまだ暑い日でした。〈日差し眩しき〉の措辞が盤水忌らしいと感じた一句です。

十耕の畝に二筋大根蒔く         瀧下しげり

 大根は土の中にある石や土の塊を避けて伸びようとするため曲がったり又割れになったりします。そのため土をよく耕すという意味で大根十耕という言葉ができました。この冬の大根の出来はいかがだったですか。

老人ホームに隣る保育所秋高し      田中よりこ

 老人ホームやデイサービスの高齢者向け施設と、保育園や学童保育など、子ども向け施設の併設や隣接させる施設が増えています。併設することで幼児が高齢者に接する機会が増えたといった教育的効果や、老人たちが子どもたちと接することで元気になるという相互ウィン・ウィンの関係が期待できているようです。斡旋された季語が子どもたちの元気な姿を象徴しているようです。

初時雨黒木の鳥居くぐるとき       宮永 順子

 時雨の句で有名な句に安住敦の〈しぐるるや駅に西口東口〉があり田園調布と前書が書かれています。この句を読むたびに東京に時雨はあるのだろうかという疑問が浮かんできます。時雨は特定の地形のところで降るもので東京では降りません。掲句は嵯峨野での一句。黒木の鳥居は野宮神社の鳥居で、櫟の木の皮をむかずに使ったもの。それをくぐった時に降り出した時雨。京都ならではの風情です。