読み止しの一書を膝に夜の秋 中川 晴美
俳句には微妙な季節感を表す季語が有ります。その一つが〈夜の秋〉。〈夜の秋〉は、昼はまだ暑さが盛んなのに夜になると秋の気配が漂うこと。立秋に先がけて用いる夏の季語である。(角川俳句大歳時記)。季節の微妙な移り変りをとらえる俳人の感性がこの季語になりました。この句、読書に集中していた作者が、ふと我に返り読み止しの本を膝に置き、身体全体でかすかな秋を感じているのでしょう。ふと我に返り秋を感じるという繊細さに惹かれた一句です。
戯過ぐ辣韭畑にほはせて 小澤 巖
鳥取の砂丘周辺の景色でしょうか。鳥取県は辣韭の産地で、「砂丘ラッキョウ」という名でブランド化され、その生産量は全国の三割ほどになります。辣韭の収穫期は六月から七月ごろ。掘り起こした辣韭は葉の部分を切り落として収穫するようです。収穫の終わった畑を日照り雨が過ぎてゆき、茎を切り取った辣韭の匂が畑中に広がっているのでしょう。
馬鈴薯の花盛りなる大地かな 酒井多加子
北海道は日本のジャガいもの八〇%を生産するジャガいも大国で年間一八〇万トン以上を生産しています。その種類は有名なところだけでも三〇種類以上。掲句、北海道のどこでしょうか。連峰が遠くに見える十勝平野かもしれませんし、大きくうねる丘が幾重にも連なった美瑛での景かも知れません。その大地の一面をジャガいもの花が覆っている景色は北海道独特のもの。日本で大地が広がるという感覚を味わえるのは北海道だけでしょうね。
畦に置く茶飲み道具や遠郭公 今村 雅史
米作りは多くの人の手を要するもの。機械によって省力化されてきたとはいえ最後は人の手で処理することが多いようです。掲句、田草取りでしょうか。一家総出の作業なのでしょう。この句で引かれたのは上五、中七の措辞。茶飲み道具を畦に用意しての農作業、というところに時間をかけてやる作業であるということが表現されていると感じると同時に、人が働いている姿を想像することができます。
花合歓や保護猫に名を付くる午後 岡田万壽美
ペットブームの陰で多くのペットたちが飼育放棄されています。それらの飼育放棄されたペットたちの多くは殺処分されることになり、その数は一年で一万四千頭にもなります。作者は保護猫を家族の一員として迎えたのでしょうか。それともボランティアで保護猫のお世話の活動をしているのでしょうか。いずれにしても今までは名前がなかった野良猫に名前ができました。これで家族の一員になる一歩を踏み出しました。
雨過ぎし空の青さや夾竹桃 岡山 裕美
にわか雨が過ぎた後でしょうか。雨上がりの空の色は空気中のちりや汚れが洗い流されたり、雨上がりで空気中の水滴や微粒子がなくなったりするために青空が鮮明に見えるようです。この句、驟雨が去った後、空は突き抜けるような青さを取り戻し、その明るさと合わせて夾竹桃の花も雨に洗われ色が鮮やかに見えたのでしょう。
冷房の風の当たらぬ位置に猫 角野 京子
今年の暑さには参りました。東京では夏日、真夏日、猛暑日の合計が一〇五日に達しました。我が家のクーラーはフル回転で約三か月間一日中の稼働となりました。夏場、猫は家の中の風の流れをよく知っていて涼しいところに陣取って寝ていることが多いようですが、掲句、猫がクーラーの風の来ないところで寝そべっていたという発見。毛皮を着ている猫でもクーラーの風を直接受けていると体が冷え切ってしまうのでしょう。
閑古鳥鳴かねば寂し鳴けばなほ 志々見久美
古くから日本人は郭公の鳴き声に物寂しさを感じていたようです。芭蕉も〈憂き我をさびしがらせよ閑古鳥〉と詠んでいます。作者のお住まいの近くでは郭公の声がよく聞かれるのでしょう。郭公が鳴かない静寂は寂しく感じ、その声が聞こえれば聞こえたでまた寂しいと感じる作者。下五の「なほ」の二文字が効果的だと感じます。
さざなみのごと松蟬の鳴き継ぎぬ 瀧下しげり
蟬の多くの成虫は夏に鳴き出しますが、松蟬は四月から六月にかけて鳴きだします。その鳴きの表現は「ジーッ・ジーッ…」「ゲーキョ・ゲーキョ…」「ムゼー・ムゼー…」など多岐にわたり、虚子は〈珊々 (さんさん) と松蟬の声揃ひたる〉と詠んでいます。作者は切れ目の無いその鳴き声を〈さざなみ〉がつながっているようだと表現しました。
白鷺の獲物を狙ふ長き頸 西岡みきを
鷺は川や水田を餌場とし魚や蛙や爬虫類を食料に生活しています。田んぼなどで見かける鷺は、長い間獲物を待って立ち尽くしていますが、獲物を狙いだすと少し前かがみな感じになり頸にためを作って待ち構えます。ためを作るために、少し曲げた首がその長さをいっそう強調するようです。
鬼ノ城に温羅の伝承梅雨深し 福長 まり
鬼ノ城は古代の山城。七世紀後半に九州北部から西日本にかけて作られた城。六六四年に朝鮮半島で起きた白村江の戦いで敗れた大和朝廷が大陸からの侵攻を恐れ築いたもの。そしてこの地に残る温羅(うら)の伝説は、大和王権がこの地の豪族を攻め滅ぼしたことに由来し、桃太郎伝説はこの話から生まれたといわれています。斡旋された季語に滅ぼされた者への思いが込められていると感じます。