投網打つ背中の反りも美しく 小澤 巖
作者がお住まいの松江の宍道湖は海水と淡水が混ざる汽水湖。そこには多くの種類の魚が住んでいて、シラウオ、アマサギ、スズキ、コイ、エビ、シジミ、ウナギなどが取れ、これらは宍道湖七珍と呼ばれています。掲句の投網漁は季節的には鯉漁でしょうか。投網は投げるものではなく打つもの。その打ち方のコツは腕で投げるのではなく体全体を使い腰の回転に合わせながら網を放していくこと。作者は漁師の網を大きく打つ姿の背中のそりの美しさに着目しました。
夕星にさ揺らぐ烏瓜の花 酒井多加子
烏瓜は秋になると林の中の木々に絡まりながらよく目立つ朱色の実をつけます。掲句はその花を題材にしたもの。烏瓜の花は夏の夜に咲き、朝には萎んでしまう一夜花。花弁の先からレース状のものが広がっているのが特徴です。掲句はそのレース状のものがかすかに揺れている状況を一句にしました。〈夕星にさ揺らぐ〉の措辞が烏瓜の花のありようをしっかりと把握していると感じます。
話しをり日傘一つに二人寄り 高野 清風
猛暑日は気象庁が気温三十五度以上の日のことをいうときに使いだした言葉。今年の夏は特に暑く東京で十九日、大阪で三十五日、熊本では三十九日間が猛暑日でした。そこで男用の日傘や大ぶりの日傘が流行しました。掲句も男用の日傘でのことでしょうか。暑さを避けるためとはいいながら一つ日傘の中で二人が肩を寄せて話をしている様子は、それだけで暑苦しそうですね。
右頰に皺くつきりと昼寝覚 伊藤 月江
朝起きた時や昼寝から起きた時によくあるのが顔についた寝跡(寝じわ)。すぐに消えれば問題はないのですが、年を取ってくると肌に張りがなくなり、一度ついた皺はなかなか消えてくれません。冬であれば頰についたものであれはマスクなどでごまかせるのですが、夏場はそれもできず困ってしまいます。寝跡がつかないようにする対策として顔の筋肉の増量があるそうです。毎日大げさに笑顔を作ったり、大きな口を開けて「あいうえお」を言ったりする表情筋トレーニングが有効だそうです。すぐ消すためには少し熱めのタオルで顔を蒸して血行を良くすることぐらいでしょうか。
掛け釘は義父の形見や百合薫る 岡田万壽美
亡くなった方のことを思い出すきっかけは人それぞれ。その方の手紙や写真。旅先の風景や共通の思い出などなど。掲句では、お父様が掛けてくれた何かをぶら下げる釘を見て偲んでいます。その釘を見ているとそれを打ってくれた時のお父様のしぐさや声も思い出しているのでしょう。百合の花も思い出の一つかもしれません。
赤富士を湖面に映し明けきりぬ 住田うしほ
普段は青っぽく見える富士山は、夏の終りから秋にかけての早朝、朝日や霧などの気象の関係で山肌が赤く染まって見えることがあり、それが赤富士。掲句でひかれたところが下五の言い切り。富士山が朝日を受け赤く染まりきる時間の経過が、この言い切りで強調されました
刀匠が焼入れに引く山清水 中谷恵美子
日本刀づくりは平安時代に始まったといわれ、現代まで受けつがれている日本の技。日本刀を作っている刀鍛冶(刀匠)は全国で二百名ほどとされています。掲句、どこの鍛冶場なのでしょうか。焼入れをするために山の水を鍛冶場に引いているのでしょう。きっとその水には刀を鍛える山の神様の精気が宿っていることでしょう
校庭はがらんどうなり夏旺ん 西岡みきを
がらんどうとは「中にあるべき人や物が全くないさま」(広辞苑)。作者は、夏休みで子供たちがいない校庭の姿を〈がらんどう〉の一言で表現しました。一つの言葉が持つ力が十二分に発揮されている作品だと感じます。
水打つて京の町屋の竹矢来 春名あけみ
京の町屋の竹矢来の用途については諸説あるようで、犬の尿から壁の汚れを守るものとして作られたという説や、雨が降った時に雨が跳ね返り町屋の板壁を汚すのを防ぐためだというものなど。いずれにしても竹矢来は京都の町屋の風情。そこに水を打つ姿。京の夕暮を感じさせます。
梅雨近し徒長枝いよよ勢ひぬ 福長 まり
徒長枝はその文字の通り「徒(いたずら)」に伸びた枝のこと。特徴は上に向かって勢いよく伸びていく枝であるということです。伸びすぎると花や実に行くべき栄養が奪われてしまいます。これが目立つのは梅雨の前ごろ。作者は高枝鋏を持って庭に出たのかもしれません。
穂高より槍へ沈める銀河かな 冨士原康子
避暑地の上高地は穂高から槍ヶ岳へ向かう登山の基地でもあります。この景はきっと上高地の河童橋からのものでしょう。河童橋から正面の空を眺めると銀河が山の影になだれるように流れていったのでしょう。
青田道来て甘樫丘に入る 今村美智子
奈良の明日香にある甘樫丘(あまかしのおか)は明日香のほぼ中心にあり飛鳥時代には蘇我氏の屋敷がありました。大和三山が一望できるところでもあります。周囲を小高い山に囲まれた明日香は棚田での米つくりでも有名なところ。稲が青々と伸び風に揺れる中を歩いてきた作者はこの一句を賜りました。