老衰てふめでたき訃報冬茜 高野 清風
平均寿命が最も長い国・地域は男性が香港、マカオ、スイスで八十三歳、女性が香港で八十九歳です。掲句に共感したのは訃報の死因の「老衰」は肉体が自然に枯れていく事でそのことは自然の摂理でありめでたいという把握。この作者の把握に私も同感です。
鰡飛んで瀬戸内海の真つ平ら 長岡 静子
鯔は河口や内湾にある汽水域にいる魚。出世魚で関東では、オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドと言います。「とどのつまり」という言葉は最後のトドからできた言葉。掲句は河口や汽水域で群れをつくり海面上をジャンプしている姿を詠んだもの。群れを成し飛び跳ねている鯔の「動」と瀬戸内海の波一つない凪の静かさの対比が面白いと感じます。
薪高く積みて師走のログハウス 中川 晴美
友人がログハウスの別荘を持っています。リビングには大きな薪ストーブが据えられていて、毎年秋になると冬を越すための薪づくりに出かけました。その年の冬を越すための薪は前の年に作り積んで乾かしているので、この薪割りは直近の冬のものではなく、その次の冬のための薪を割りに行ったものです。それが終わると薪棚には二冬分の薪がこの句のように積み上がります。
枯蔦や良き距離にある夫婦杉 今村 雅史
多くの場合夫婦杉は一本の根元から二本の杉が伸びているもののことを言うようです。有名なところでは高千穂神社や京都の八坂神社、日光の東照宮など多くのところにあります。掲句の夫婦杉は一つの根元から二本の杉が生えているのではなく少し離れている二本の杉なのでしょう。中七の〈よき距離にある〉という把握にひかれました。
豪商のちさき祠も神迎 角野 京子
豪商は豊臣時代から徳川時代にかけて生まれた商人のこと。全国的な規模から各藩の規模まで多くありました。掲句の豪商は誰でしょうか。江戸であれば三井呉服店。その流れであれば、東京の銀座三越百貨店の屋上には江戸の呉服屋三井家により三囲神社(稲荷神社)がまつられています。神無月で出雲の国に出払っていた神様が戻ってくる神迎。それを迎える氏子達の姿が印象的だったのでしょう。
公園に炊出しの鍋けふ聖夜 川口 恭子
東京に炊出し村ができたのは二〇〇八年の年末。リーマンショックによる派遣切りなどが横行した時でした。それから十五年、貧困の状況は単発的なものではなくひたひたと深く広く広がっています。いろいろなところにできた子ども食堂は炊出しの変形。ネットで炊出しの曜日と時間と場所が記載されたマップを検索するこができます。掲句、クリスマスの夜の炊出しが切ない内容です。
感嘆符盛つてやりとり冬ぬくし 河原 まき
スマホやPCでのコミュニケーションは炎上しやすいものです。面談での会話では「言葉」は「言葉の意味と気持(感情)を同時に伝えられる」ことができますが、PCやスマホでは言葉の意味だけが強調されてしまうため、つい感情的なやり取りが多くなってしまうようです。そこで発明されたのが絵文字。これは日本が発祥で世界に広まったもの。相手に言葉の内容だけではなく気持を伝えるために一定の効果があり、日本では特に多用されています。掲句、絵文字やスタンプを活用したラインのやり取りでしょうか。
丁寧に髪を染むるも年用意 櫻井眞砂子
新しい年を迎える準備にはいろいろありますが、その一つが髪の毛を整えること。男性であれば早いところでは二十分もあれば散髪は終わりますが、女性の場合はそうはいかないようです。作者は髪の毛を染めてからのセット。時間も十分にかかる年用意の一つですね。
小殿原噛んで望郷募りけり 田中 愛子
小殿原(ことのばら)は、ごまめのこと、小さくてもお頭がついているので「小さい殿たち」という意味。おせち料理にはそれぞれの土地、家庭の味があるもの。作者はごまめを噛んで実家の味を懐かしく思ったのでしょう。ちなみに私の母はごまめのはらわたを取ってから煎っていましたが妻ははらわたを取らずに煎ります。
推し活のキャラも吊るせるクリスマス 中村ちづる
俳句の中で新しい言葉・流行語をどう扱うのかは悩ましいことの一つです。掲句での最近はやっている言葉は「推し活」と「キャラ」、この中で広辞苑が採録しているものは「キャラ」。大辞泉では「キャラがたつ/かぶる」などを慣用句として解説しています。「推し活」はまだ採録されていませんがそのうち辞書に採録されるかもしれません。クリスマスツリーも今までとは違ったものが飾られるようになりました。
セーターを脱ぎて気付きぬ後ろ前 松井 春雄
セーターに限らずかぶって着るものが後ろ前になっていることはよくあること。なんとなく首のあたりが詰まっていたと思ったら……。なんてことがあります。作者の微苦笑が目に浮かぶ一句です。
冬ぬくし妻手遊びと編むリース 三澤 福泉
ここ数年、空前の編物ブームだそうで毛糸が品薄になっている様です。掲句のこのリースはクリスマスの飾り用の物でしょうか。日差しいっぱいのリビングで編物をしている平穏な時間が想像される一句です。