◆課題俳句◆     岡田万壽美 選


課題 蜩・日暮・茅蜩・かなかな・寒蟬
 セミ科の昆虫。緑と黒の斑点がある黒褐色の体に透明な翅をもつ中型の蟬で、七月末頃から明け方や夕刻にカナカナカナと軽い金属音のような澄んだ美しい声で鳴く。また、夕立の前にも多く鳴くことがあるといわれている。ほとんどの蟬が人家の近くまで来て、たとえば網戸に止まって鳴くようなこともあるが、蜩は深い森や林の中を好み、そこから響く鳴き声は何とも儚い感じがして、いかにも秋にふさわしい雰囲気を醸し出す。(野中亮介)

   新版角川俳句大歳時記より

たちまちに蜩の声揃ふなり        中村 汀女
蜩や雲のとざせる伊達郡         加藤 楸邨
ひぐらしや人びと帰る家もてり      片山 桃史
ひぐらしに肩のあたりのさみしき日    草間 時彦
ひぐらしのしみ入るばかり和紙の店    成田 千空
ひぐらしをきく水底にゐるごとく     木内 怜子
蜩や樹間正しき吉野杉          加古 宗也
千古とはひぐらしのこの繰り返し     仲  寒蟬
蜩の木や正装の父が立ち         森賀 まり
かなかなの声の出だしをゆづりあふ    鷹羽 狩行



特 選

かなかなの声のころがる高野かな     小林伊久子

 〈高野〉は、世界遺産の高野山ですね。平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。行かれた方も多いと思います。鬱蒼とした木立ですから、蜩で詠まれた句も沢山あるかもしれませんね。それを私ならこう詠みますと真っ向勝負しました。〈声のころがる〉かぁ~拍手!辞書に〈ころがる〉転がるは、①回転しながら進む。④ありふれて、どこにもある。とあります。①なら、蜩の声、鳴き様の表現、〈かなかな〉という副季語を選んで成立したと思います。④なら、参拝するあちらでも、こちらでも鳴いている蜩の数と、お山の広さも表現出来ていると思います。どちらの意味でも読めて、両方共でも有り。私は両方共で頂きました。〈ころがる〉という言葉、面白いですね。沢山でも、ちゃんと蜩の声の向こうに深い静けさを感じとれます。不思議です。これも全山を鳴き声が包んでいるのでは無く〈ころがる〉とした効果ですね。

ひぐらしの鳴く谷川に米洗ふ       島津 康弘

 課題俳句を担当させて頂くようになって、季語から発想をどこまで飛ばせるか、辿っていけるかをよく考えるようになりました。掲句は〈谷川に米洗ふ〉です!厨事としてでは無くですよね。賑やかなBBQでしょうか。昨今流行のソロキャンプかもしれませんね。後者と思いたい。季語を蜩では無く平仮名表記にしたことも、ゆったりと自由なキャンプに合っている気がします。少しだけ日常から離れた時間に一合の米を洗う作者の丸めた背中が見える気がします。蜩の声、せせらぎ、米を研ぐ音と三種類の音があるのに煩く感じないのは山が大きく包み込んでいるからでしょう。ご飯は美味しく炊けましたか。

蜩の鳴く夕ゆくりなきデジャビュ     福長 まり

 破調でありながら、(ゆ)の音が三つ含まれるせいか、淀みなく流れます。上九音の現実、下八音の幻想という句の構成が面白いです。現実の方が、ちゃんと一音多いのですよね。〈ゆくりなき〉は、思いがけずに、〈デジャビュ〉は、既視感です。何と言うこともなく蜩の声を聞いていた作者は、初めての場所なのにこういう夕べを過ごしたことがあったように感じたのです。柔らかいオレンジ色と蜩の声に包まれて現実感を失った世界で、今はもう会えなくなった方が隣で優しく微笑んでおられたのやもしれません。現実の〈蜩の鳴く夕〉は、寂しいけれど暖かく、そして切ない。

かなかなや余光に染まる湖中句碑     中尾 謙三

 琵琶湖の景として読ませて頂きました。高浜虚子の〈湖も此の辺にして鳥渡る〉の句碑が、浮御堂の北側の湖中に建てられています。〈余光に染まる〉が美しく、句碑に寄せるさざ波に〈かなかな〉の声が呼応して余韻が深い。意図していたかは定かでは無いけれど、地中が長く、短い今生を鳴き尽くす蜩と長い旅を繰り返して生を営む鳥との対比も妙であるとしみじみと感じた。



 入 選

蜩や日ざし届かぬ卵塔群         春名あけみ
かなかなやけふしおほせしこといくつ   河原 まき
蜩の鳴く境内の写生会          住田うしほ
ひぐらしや晩鐘響動む大伽藍       吉村 征子
かなかなや鼻緒ほどよき宿の下駄     村川美智子
蜩や厨にカレー煮るにほひ        小澤  巖
かなかなや湖面の落暉消ゆるまで     酒井多加子
ひぐらしや遠き一樹に日の残り      川口 恭子
蜩や日供を告ぐる時の鐘         木村てる代
蜩やポストに一つ不在票         田中 愛子
蜩や嘉門次小屋に荷を解く        冨安トシ子
かなかなや廃線跡に鉄の杭        宮永 順子
かなかなやなかなかあかぬ壜の蓋     吉沢ふう子
かなかなに濡るるが如き朝夕べ      宇野 晴美
蜩の鳴くや雪太の裏の灸         廣田 静子
蜩の頻りに鳴ける脇往還         浅川加代子
大橋を遠に蜩鳴きわたる         杉浦 正夫
かなかなや女人高野の塔の上       中谷恵美子
城跡にかなかな鳴ける宇陀郡       播广 義春
かなかなや水なき池に石の橋       平井 紀夫
蜩のこゑを聴きつつ朝参り        原  茂美
蜩や女人結界てふ鳥居          藤田 壽穂
蜩や七輪で焼く青魚           乾  厚子
奥津城へひぐらしのこゑ膨らみぬ     角野 京子
ひぐらしや昔家には灯が一つ       福原 正司
蜩や比企一族の墓碑の苔         冨士原康子
かなかなやバス終点の温泉場       三澤 福泉
かなかなや杜に鎮もる皇子の墓      横田  恵
蜩を遠音に里の夕餉かな         渡邉眞知子
蜩やハーネス付けて猫散歩        瀬崎こまち
蜩や頼り合ひ住む路地の奥        小見 千穂
蜩やズボンの丈を短こうす        野村よし子
かなかなの鳴く山を見る空を見る     志々見久美
蜩や人影の無き比丘尼寺         西岡みきを
終焉のかなかな草にききと鳴く      佐々木一夫
かなかなやラジオのやうに鳴きにけり   平本  文
帰路暮れて蜩雨を呼びにけり       新倉 眞理
ひぐらしやけふのひと日ぞつつがなき   髙橋 佳子
かなかなや明日に備へて鎌を研ぐ     髙松眞知子
かなかなの只中にある社殿かな      青木 豊江
のつぽの木に日射しかなかなぴたと止む  越智千代子
かなかなや迎への父の先歩む       関口 ふじ
かなかなや無縁仏のちさき石       田中まさ惠
かなかなや少年心病みたりと       井手 公子
背山暮れゆく蜩の余韻なほ        木原 圭子
朝風やふいにかなかなかなかなと     穂積 鈴女
寒蟬や木洩れ日柔き山の午下       板倉 年江
蜩の声や母校の渡り廊          谷野由紀子
かなかなや砲弾残る古戦場        原田千寿子
かなかなや日暮の雨に鳴きやまず     中田美智子
蜩や父病室に寝息あり          岡田 寛子
傾ける日にかなかなの連れて鳴く     窪田 季男
ひぐらしや猫のいびきもある夕べ     浅川 悦子
蜩や土産物屋の早や閉まる        田中せつ子
かなかなや一樹の裾に辻地蔵       水谷 道子
病棟七階蜩の聞こえこず         布谷 仁美
こゑ張りて夕蜩の調子よし        今村 雅史
蜩の静かになりて山雨来ぬ        田中よりこ
蜩の鳴声時に法話聞く          船木小夜美
かなかなや廃墟となりしラブホテル    光本 弥観
かなかなや人つくづくと死にちかし    大澤 朝子
かなかなや入江来布の所縁の地      野添 優子
蜩を天使の声と思ふ夕          岡山 裕美




佳 作

蜩の声に陽も落つ芦屋浜         中尾 礼子
蜩の響きにひかれ卯辰山         中野 尚志
かなかなやぽつんと象の滑り台      伊藤 月江
かなかなや夕影伸ぶる神の杜       今村美智子
蜩やさざ波立つる遊水地         奥野 雅應
蜩や日のある内のチェックイン      田中 幸子
蜩や小猿三匹橋渡る           松本 葉子
かなかなを寂しと思ひはじめけり     渡部 芋丸
蜩の声乗せきたる森の風         宇利 和代
かなかなや坂の途中に産土社       上和田玲子
蜩や有馬の宿の長廊下          竹内美登里
蜩の遠音に暮るる旅の宿         土屋 順子
かなかなや峡の小川に手を浸す      松本 英乃
蜩やかつて十戸を越えし里        うすい明笛
蜩や夕日に映える芭蕉堂         大塚 章子
かなかなや谷の瀬音に紛れゐる      小山 禎子
蜩や峠を越えて宿場町          武田 風雲
蜩の鳴き止み里曲暮れ初めぬ       松井 春雄
寒蟬の声染み渡る高野山         髙木 哲也
蜩や仕立つる服は急ぎ物         竹村とく子
蜩に帰路のせかるる一人旅        松本すみえ
かなかなや点滴少しゆつくりと      山内 英子
かなかなや金板擦るる音に似て      溝田 又男
かなかなや過去の記憶を呼び起こす    山﨑 尚子
かなかなの声の辺りを見渡せり      山本 創一
蜩の鳴けるベンチに受験生        藤原 俊朗
かなかなの声に下山の安堵かな      大木雄二郎
蜩鳴いてありし日の母想ひけり      倉瀬 瑛子
蜩や夕闇迫る下山道           平橋 道子
かなかなの声を聞きつつ夕餉かな     井上 妙子
蜩の声遠きより山の朝          岩橋 俊郎
蜩のリズムを追へる夕まぐれ       榎原 洋子
手をとめてかなかなの声楽しみぬ     近藤登美子
蜩や島は静かに暮れていく        太田美代子
蜩の声を遠くに陽の沈む         大野 照幸
かなかなや今年で終はる同窓会      金子 良子
蜩や朝倉墓所は仄暗く         コダマヒデキ
山の辺にただ蜩の声みちて        五味 和代
蜩の声を惜しみて帰途のバス       小薮 艶子
里山へかなかなかなと迎へらる      斎藤 摂子
かなかなの声に佇む夕の暮        杉村 好子
蜩や日光鬼怒川湯町寂ぶ         中村 克久
蜩の遠く鳴きたる夕餉かな        浜野 明美
蜩のよき声愛づる山の宿         宮田かず子
かなかなや見送る者もやや老ひて     加納 聡子
かなかなや夕暮時の声淋し        林  雅彦
ひぐらしや隅に置かれし耕運機      星私 虎亮
蜩の今はのきはの呼応かな        佐々木慶子
かなかなや夫の故郷の懐かしく      野村 絢子
かなかなや山の畑を思ひ出す       人見 洋子
蜩や子らの帰りし公園に         髙橋 保博
山寺にかなかな鳴くや雲の脚       寺岡 青甫
かなかなや方便のなかに地蔵川      櫻井眞砂子
夕間暮蜩の声彼方此方に         深川 隆正
蜩を遠方にききインターバル       遠藤  玲
蜩やごつこ遊びの友は今         糟谷 倫子
日暮や名前の如く吾も生く        奥本 七朗
蜩の出番遮る余熱かな          鎌田 利弘
蜩は山を削られ何処やら         河井 浩志
入相の水まく庭にひぐらしか       川尻 節子
かなかなや姉妹揃ひし旅想ふ       児島 昌子
蜩や写真の中の父笑ふ          妹尾ひとみ
朝夕べかなかなの振る銀の鈴       香椎みつゑ
かなかなで目覚むる朝の果報者      片上 節子
地の中を出でて蜩世を謳歌        髙橋美智子
蜩や溜息に似て鳴きしぼる        中尾 光子
かなかなや鈴をうちふるふかのごとし   北田 啓子
かなかなや庭のこの木が好みらし     長岡 静子
蜩鳴くこの境内でかくれんぼ       渡邊 房子
蜩に鳴かれて哀し昭和かな        越智 勝利
ビニールプール踏んで畳んで夕かなかな  伊津野 均
峡の里に煙一筋夕かなかな        三原 満江
蜩の音絶へてなほ残暑かな        長浜 保夫
かなかなや鹿走りゆく山の宿       米田 幸子





次回課題   釣瓶落し
締  切  11月末日
巻末の投句用紙又はメールで、二句迄。編集室宛
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