若葉集選後所感           朝妻 力

 

 

深閑と西日まみれの廃校舎        壷井  貞

 文科省によりますと、全国で毎年四百五十校が廃校になっているそうです。原因は少子化。また都市部への人口移動(ドーナツ化現象)の要因も大きいそうです。ひっくるめて言えば、人口減少と過疎化……というあたりでしょうか。廃校となった校舎を宿泊施設として利用するとか、村起しの拠点として活用するなどの工夫がなされているようですが、しかし人口減少と過疎化はそれ以上の問題と言えるでしょうね。掲句はそんな廃校となった校舎の一場面。〈深閑〉〈西日まみれ〉が切なさを感じさせてくれます。

前事不忘後の師となさん敗戦忌      倉本 明佳

 前事不忘後事之師という語があります。読んで字のごとく「前事を忘れざるは後事の師なり」、という軍事訓。前漢時代の学者、賈誼(かぎ)が残した言葉だそうです。先の大戦、先人には申し訳ありませんがまさに愚挙でありました。戦争を始めると、勝敗いずれにしても多くの人たちが苦しむことになるという明白な道理に目を向けなかった戦いでした。敗戦忌にあたって、作者の脳裏にふと浮かんだ言葉でありましょう。その通りですね。

腕時計抜け落ちさうな溽暑かな      福原 正司

 暑さの具体例としての表現はいくつもありますが、腕時計が抜け落ちそう……という把握に引かれました。汗びっしょりなのでしょうね。まるで腕時計が抜け落ちそうだというのです。溽暑ながら、ちょっと楽しい心の遊びです。

鷹山の功績たどる旅の夏         関根由美子

 鷹山(ようざん)と言えば米沢藩主、上杉鷹山。養嗣子たる彼は崩壊寸前であった藩の財政を立て直します。ケネディが大統領に就任したさい、日本の記者が「日本の政治家で尊敬する人はいるか」と質問したところ上杉鷹山と答えたことでも知られます。領内を視察しているとき老婆が稲を取り込んでおりましたが生憎の俄雨。鷹山は同行した家来と共にこれを手伝います。後日、老婆がお礼の丸め餅を持参したところ、この人は藩主である鷹山だったというのです。老婆は褒美として鷹山から銀五枚を頂きます。これで足袋を作り、子や孫たちに分かちますが、この時の老婆の手紙が残っているのです。関根さんもたぶん片仮名書きの手紙を見たのでしょうね。ちなみにグーグルなどで「鷹山 足袋」と検索しますとこの手紙も出てきます。

いなびかり見てゐる猫のシルエット    岡田 寛子

 単純な構成ながらしっかりと情景の見える作品。読者はそれぞれの思いや経験からそのシルエットを思い浮かべることができます。

猛暑日や昭和の頃の日々をふと      川尻 節子

 猛暑日、昭和の時代を懐かしんでいるのではなく、昭和の日々の涼しい気候をも懐かしんでいるのでしょうね。

亡き吾子へ盆の用意の鉦一打       佐々木一夫

 盆支度の一景。私もそうですが亡くなった子のあれこれはいつまで経っても鮮明に記憶があります。こうして一句にすることも供養ですね。

夜の秋独り寝にふと母思ふ        神田しげこ

 一人になったときに母を思い出す……。幼時にはいつも一緒だっただけに多くの人がそう思うのでしょうね。

立秋や髪整へて友に会ふ         小谷  愛

 久し振りに会う友人でしょうね。身だしなみは大切とばかり髪も綺麗にして……。作者らしい心配りです。

新盆や追悼文を供物とし         小見 千穂

 九月号で〈夫逝きて相槌の無き梅雨入かな〉を鑑賞させて頂きました。ご友人などからの追悼文でありましょう。彼の世で喜ばれていることでしょうね。

鱈腹の語源調ぶる秋の宵         杉本 綾子

 俳句に親しんでいますと、言葉の意味や語源に不思議さを感じることがよくあるものです。鱈腹と言いますと膨れた鱈の腹を思いますがこれがまったくの当て字。小鳥遊(たかなし)など地名・人名に多く見られます。皆さんも調べてみてください。

雲一つなき空仰ぐ原爆忌         林  雅彦

 「こよなく晴れた青空を悲しと思う切なさよ」。「長崎の鐘」の一節ですが、なぜ切ないのか、長い間分かりませんでした。そんなことを思わせてくれる一句です。

送り火を見送る古都の夜の静寂      高岡たま子

 観光客も多いのですが、祭りとは違って静やかに進みます。敬虔な心持であるだけに〈夜の静寂〉が効果的です。

病む妻の眠りに団扇風送る        進藤  正

 今月は奥様の病の作品を投稿されました。伏せっている奥様に団扇風を送る……。夫婦・親子ならではの光景です。

えいひれを炙り若きと秋の宴       山本 創一

 酒の肴の定番とも言える鱏鰭。鱏は軟骨であるためか弾力のある食感と香ばしい風味が特徴です。現役時代の後輩の皆さんでしょう。盛り上がるでしょうね。

テラスより夕日眺むる避暑の宿      竹中 敏子

 海に近い避暑地でありましょうか。夕日にしても普段とは違う光景。避暑というに相応しい場面ですね。

広々と安満の遺跡や風涼し        古谷 清子

 安満遺跡は、近畿地方でもいち早く米づくりを始めた弥生時代の大環濠集落跡。夕風でしょうか。涼しい風を受けつつ縄文・弥生の世を偲ぶ作者。

秋立つや砂場で遊ぶ子らの声       秋山富美子

 暑くて中々外で遊べなかった子たち。今年の八月七日の関西は朝から曇りで昼過ぎには雨が降りました。絶好の外遊び日和。子たちの声が聞こえて来るようです。

降りさうで降らぬ日庭に水を撒く     井上 妙子

 それにしても暑くて晴天が続きました。人もぐったり庭木もぐったりという所ですね。

古里を近くに想ふ盆をどり        神出不二子

 夕焼けや赤蜻蛉などふっと幼時や郷里を思わせてくれるものです。盆踊もまさに望郷のイベントですね。

母叔母は姉妹の会話盆の月        長尾眞知子

 〈姉妹の会話〉という把握に吃驚しました。しかし姉妹なればこその会話。言われてみるとまさにその通りですね。

夏霧に宮の朱の橋浮き上がる       日澤 信行

 美しい、夢のような情景。朝方でありましょうか。神社に出向いたことでこんな光景に出会えました。

夢心地にて冷え桃を頂きぬ        平井 高子

 戴き物は何でも嬉しいものです。しかし作者は〈夢心地〉で頂いた。冷やしてあることに感謝一杯という所ですね。

やり直しできる人生夏旺ん        平本  文

 人生はやり直しができないとか言われますが、やり直ししようと決意した作者。〈夏旺ん〉がその意気込みです。




 ~以下、選評を書けなかった作品、当月抄候補作品から~

尼子氏の栄枯盛衰盆の月         井上 白兎
葉の垂るるメタセコイアに露光る     奥本 七朗
髪切りてなほ逃れざる残暑かな      加納 聡子
宿題は完璧と笑む日焼の子        児島 昌子
夏薊私雨が峠越ゆ            寺岡 青甫
頑是なき子が十字切る長崎忌       西山 厚生
友呼べばこれに限ると冷奴        松谷 忠則
墓仕舞済ませ迎ふる盆の月        溝田 又男
原爆忌戦なき世を願ひつつ        安齋 行夫
さくらんぼ五歳の手から貰ひけり     磯野 洋子
爽涼や水面に揺るる浮御堂        井上 浩世
秋の海凪ぎて濁りのなかりけり      扇谷 竹美
トマト喰ふ如何にも季節噛む如く     大木雄二郎
消防の団長の手に黒日傘         大畑  稔
雷鳴に水遣り控へ雨を待つ        大前 繁雄
身の内のひからびてゆく残暑かな     木村 粂子
竹林に猪の掘りたる穴数多        佐々木慶子
かなかなの日暮れて遠く響きたり     杉山  昇
山野草活けて僧坊涼新た         髙松眞知子
新盆の夕蠟燭の消ゆるまで        中野 尚志
行く夏のエンドロールに客立たず     野村よし子
宴会にパセリ泥棒現れぬ         星私 虎亮