青葉集選後所感           朝妻 力

 

木槿咲く昭和の匂ふ喫茶店        松本 英乃

 いわゆる昭和レトロな喫茶店。昭和三十年代から平成の初めまで純喫茶と銘打った喫茶店が数多くありました。純喫茶は酒類を販売しないこと、接客専門の女性がいないことが要件でしたが、サンドイッチなどの軽食も提供しておりました。店内は総じて照明を控えめにし、年代を感じさせる調度や装飾品などが特徴でしたが、音楽はクラシックやポップスなどお店の特徴が出ていました。掲句はなぜかガロの「学生街の喫茶店」を思い出させてくれます。
 作者は江戸期より別子銅山で栄え、工都ともよばれる新居浜にお住まい。新居浜の昭和レトロな喫茶店。どんな喫茶店でしょうか。木槿は底紅か……などと郷愁をそそってくれます。

をちこちの造化萎るる墓参        関口 ふじ

 供花(生花)が萎れるのであれば当り前ですが、作者は萎れた造花を見つけました。造花が萎れる?と不思議に思いますが、今年の暑さと残暑。造花も干上がってしまったのでしょうね。造花はポリエステルで作られるそうです。中には本物と比べても遜色ないものも多く存在します。素材とプリント技術の向上の結果でしょうね。ただ、墓所という屋外ですので、直射日光などが原因で萎れてしまうこともあるようです。発見が見事。

新涼の縁に篠笛復習ひけり        山内 英子

 篠笛は篠竹で作った日本独特の横笛。三味線、尺八とともに最も聞く機会の多い楽器です。その他にも琴・鼓・太鼓なども親しいものです。復習うとありますので、元々吹いていたのでしょうね。お会いする機会がありましたら、貝殻節でも聞かせて下さい。

満ち足りてひと夜を畳む酔芙蓉      北田 啓子

 〈ひと夜を畳む〉ですから朝方、花を閉じかけた場面でしょうね。白い花びらは前の日の夕方から酒に酔ったように赤みを増してゆきます。朝になると爆酔状態で真っ赤。そんな朝の酔芙蓉を見事に写生しました。

萩揺れて紫色の風生まる         片上 節子

 紫色の風、少々言い過ぎかと感じましたが、考えてみますと何となくそんな気がしてきます。特に後期高齢の域に達すると視力の衰えといいますか少し離れたものがぼやけて見えるようになります。もしかすると片上さんもそうか……と思ってしまいました。

山の端の夕陽を追うて三日の月      上和田玲子

 秋になりますと月の作品が多くなります。そんな中で困るのが朝の三日月。標準的に言えば三日月は朝の九時に東に出て夜の九時に西に沈みます。朝も三日月は出ているのですが、太陽の光が強くて見えません。〈山の端の夕陽〉としっかり観察して作りました。

秘すれば花色なき風に笙の笛       宇野 晴美

 「秘すれば花」は世阿弥の言葉。能舞の見せ場、つまり花の部分は隠せという意味です。これは演者向けの言葉ですが、観客向けには「秘したる花を知るべし」とも言っています。〈秘すれば花〉が、笙の音を乗せてくる秋風にふさわしい把握と感じました。

曇天の予科練塔やちちろ鳴く       乾  厚子

 各地を歩き回っている作者。今回は天橋立に吟行したようですので、智恩寺の予科練供養塔でありましょう。吟行は見聞を広める、感性を磨くという効果があります。これからもお続け下さい。

残暑光土蔵の鏝絵照らしをり       鎌田 利弘

 鏝絵は漆喰を塗った上に鏝で風景や肖像などを描き出した絵。蔵の壁に多く描かれますので蔵飾りとも呼ばれます。これを芸術の域に高めたのが江戸末期から明治に活躍した伊豆の長八と呼ばれる左官職人。西伊豆に美術館が建てられています。

校庭に野菜の育つ運動会         青木 豊江

 かつては農村地帯であった小学校などでしょうね。孫などの応援に出かけてみると校庭の隅に実習用の菜園。ちょっとした驚きと郷愁が一句になりました。

涼新た居酒屋に入るヒール下駄      小薮 艶子

 見たことはないのですが、下駄のヒールの部分が高くなっている下駄でしょうね。背も高く、足も長く見えるのではないかと感じました。居酒屋に入ってくるハイカラ女子。最近、女性だけの飲み客も増えてきました。

敬老日米寿の夫を祝ひけり        斎藤 摂子

 米寿は八十八歳。八は末広がりの縁起の良い語として親しまれています。かの三代目桂米朝さんは俳句も嗜んでおりました。俳号は桂八十八(やそはち)でしたね。

アンコールの六甲おろし秋うらら     平橋 道子

 詳しくないので想像ですが甲子園球場での阪神の試合でしょうね。当然ながら勝ち試合。観客の皆さんが歌って、それをアンコールしたか……。あるいはプロの歌手の歌へのアンコールかもしれません。阪神のリーグ優勝。ファンの皆さん、おめでとうございます。

子規館の糸瓜に番号札の揺る       越智千代子

 糸瓜に番号札……。子規記念博物館でへちまコンテストでも行われたのでしょうか。子規の最後の句が糸瓜三句であるだけに興味をそそられます。

ちぎり絵の兎にまなこ描く秋夜      糟谷 倫子

 なんともない日常の一句。しかしご子息を失われて間もない作者であるだけに、懸命に日常に戻ろうとする心が感じられる一句です。

小ぶりなる花束贈る敬老日        金子 良子

 お祝に大きな花束では持ちづらかろう。もしかしたら転ぶかも知れない……。徹底して母君思いの作者です。

輪となりて死者や生者や月高し      髙橋美智子

 亡者をイメージした盆踊でしょうね。作者のお住まいの新居浜でも、照葉集の岡山さんと同じように、亡くなった人を供養し、先祖に思いを馳せる盆踊が催されるようです。

目には竹生頰に浦風秋高し        竹村とく子

 竹生は琵琶湖の竹生島。浦風は琵琶湖を吹いてくる風でありましょう。強烈な残暑もようやく弱まり、〈秋高し〉の季節になりました。

木の陰に車座となり鹿憩ふ        土屋 順子

 木陰で車座と言えば春は花見、秋は登高などと相場が決まっているものですが、鹿たちも……。小さな発見です。

とぐろ巻く小さきちさき穴まどひ     中尾 光子

 今年生まれた蛇でありましょう。小さいながらもしっかりととぐろをまいている……。上面を平らに剪定したイヌマキなどで日を浴びているのでしょう。

天と地の恵みを思ふ今年米        長浜 保夫

 暑いとか雨がないとかいいながらも自然の恵みはありがたいものです。農業を営む作者らしい感慨。

竹下駄や空澄む庵の踏石に        野添 優子

 前後の作品から嵯峨野の落柿舎での詠かと思われます。孟宗竹などを一尺足らずに切り、半分に割って鼻緒をつけただけの下駄……。時代を感じさせます。

菊の日や月命日の土鍋飯         野村 絢子

 亡くなった大切な人。一日に何回も思い出すものですが月命日などともなると尚更です。こうして思い出すことも供養ですね。




 ~以下、選評を書けなかった作品、当月抄候補作品から~

狂言に笑ふ一日や秋扇          穂積 鈴女
秋の夜や明日の花束水に漬く       光本 弥観
少年が見事に駆れる稲刈機        浅川 悦子
惜しみつつ聞く一刻の虫時雨       植田 耕士
花野行く言葉拾ひを遊びつつ       遠藤  玲
秋祭子らの後ゆくベビーカー       大澤 朝子
発つたびに草を揺らせる螇蚸かな    コダマヒデキ
小袋に詰めし菊花の肌守り        五味 和代
窓閉めて夜具引き寄する処暑の朝     瀬崎こまち
秋桜てふ百恵の歌やしみじみと      髙木 哲也
本物の月見せてゐる歌舞伎かな      高橋 佳子
墨堂に暫し置く筆涼新た         髙松美智子
土間暗し姿見せずにちちろ鳴く      竹内美登里
今年又同じ畷に彼岸花          中田美智子