集ひ来て昭和を歌ふ敬老日 香椎みつゑ
十人の曽孫も集ひ敬老日 米田 幸子
敬老の日二句。香椎さんは地域の敬老会の一景でありましょうか。〈昭和を歌ふ〉、昭和の歌を歌うですね。自分にとって思い出深かったり好きな歌は、そのときの心情や境遇が色濃く残っているものです。歌、私も大好きです。
米田さんはご自宅とか近所の料理屋さんでの敬老会。曽孫が十人というのは凄いですね。それにしても賑やかな敬老会だったことでしょう。こんな場面も、俳句に親しんでいるからこそ、文字として残せます。
山坊の窓を覆へる虫の闇 田中 幸子
山の中にある家などいくつもの意味のある山坊(さんぼう)ですが、ここでは寺院の宿舎かと鑑賞しました。いわゆる宿坊と同じですが、山坊とするともっと古いような、あるいは少々辺鄙な地にあるという印象も出てきます。少し御酒を頂いて静かに過ごしたい一景。
満月を指呼に采女の花扇 土屋 順子
奈良、猿沢池の観月祭の一景でありましょう。池のほとりには池に身を投げた采女を偲ぶ采女神社が祀られています。見学したことはないのですが、采女役の女性が乗っているのでしょうね。管弦の音が聞こえてくるようです。
連れ立ちて汐かけ横丁秋茜 松浦 陽子
汐かけ横町が初見でしたので調べてみましたら、住吉大社の参道、汐かけ道に設けられた露店の通りだそうです。今年七月にオープンしたということで連日大盛況とか。そんな雰囲気の伝わってくる一句ですね。
一日の良きこと数ふ虫の夜 穂積 鈴女
虫の鳴いている夜……。その日のあれこれを思い出している作者。悔やむことではなくて、良かったことを数える。そこが良いですね。明日もきっと良いことがあります。
とんばう来遠き思ひ出運ぶごと 德山八重子
わかりますねえ。私も齢を重ねたせいか、何かにつけて懐かしく、また楽しく思い出す場面が多くなりました。世の中に執着するという訳ではないのですが思い出、心に深く残っているあれこれは有り難いものです。
手水舎に真白き手拭き涼新た 青木 豊江
今年は暑い日が続いたせいか、いつまでたっても秋が来ないという印象がありました。そんな中で感じる新涼はなぜか貴重なもののように思います。〈涼新た〉という、どちらかと言えば皮膚で捉えることの多い季感を視覚で捉えました。季語が生き生きと輝きます。
安堵して脳外科出づる九月かな 松本 英乃
脳といいますと脳梗塞、・脳軟化症・脳卒中などが思い起こされます。いずれも麻痺や意識障害・失語に繋がる障害。松本さん、検診を受けたのでしょうね。結果は問題無し!よかったよかった。〈安堵〉が率直なお気持ですね。
うす闇を飛びかかりくるかまどうま 浅川 悦子
夜道とか、夜の庭での一景。何かが飛びかかるように飛んできて驚いた作者ですが、落ち着いて正体をみると竈馬……。竈馬は羽を持たず、脚を使って跳躍します。それだけに、途中で方向転換ができず、人や窓ガラスに当たることも多いようです。〈飛びかかりくる〉が実感ですね。
一片の雲の動かぬ今朝の秋 浜野 明美
晴れ渡った青空に動こうともせず浮かんでいる一片の雲。時折こんな光景がありますが、どうして動かないのだろうと不思議にもなるものです。いずれにしても立秋。気温は高いですがようやく秋になったと見上げる作者が思われます。もっとも本格的な秋はずっと遅れました。
秋暁の速歩交ふる散歩かな 大野 照幸
並足といいますか、自分に合った速度で歩いている作者。ときおり早足を交えるということは、健康を意識してのことでしょうね。お元気なのは何よりです。
ほほづきを鳴らす媼の目にちから 杉村 好子
言われてみると鬼灯を鳴らすときの目は多くの場合上向きになるようです。そんな表情を〈目にちから〉と把握しました。ぴったりの把握です。
草原の扉を押せば秋の風 髙橋美智子
草原に扉など存在しないわけですが、草原に一歩足を踏み入れたとたんにそう感じたのでしょうね。たまたま涼風の吹いてきたときなど、まさにそんな気持になるものです。〈扉を押せば〉という感覚に引かれました。
夕風や二百十日も無事に過ぎ 竹内美登里
〈夕風や〉とありますので、緩やかな心地良い風でしょうね。心配していた二百十日も無事に過ぎた……。安堵感のあふれる一句です。
酒の香のなき食卓に月見豆 野村 絢子
五月号に〈亡き夫の携帯の鳴る寒き春〉を発表しておられました。今年はご主人のおられない月見ということでしょうね。亡き人を思って一句を残すのも、ご供養になるかと思います。
なかなかに返信書けぬ残暑かな 平橋 道子
頂いた文に、すぐにでも返信を書きたいのだけれど残暑でなかなか……。もっとも、残暑は単なる言訳なのかなとも思えるのがこの作品の楽しいところです。
退院の出口の眩し鰯雲 渡部 芋丸
休詠が続いておりましたので、どうされたかと案じておりました。体調を崩しておられたのですね。入院して退院……。良かった良かった。どうぞお大事にお過ごし下さい。
杉の香の利酒旨し鬼貫忌 宇野 晴美
杉樽に入れた利酒ですね。鬼貫は伊丹の酒造業者「油谷」の三男として生まれました。場所は伊丹の旧岡田家住宅でありましょうか。鬼貫を偲ぶにはもってこいの場面ですね。
裾からげ野萩の藪に分け入りぬ 遠藤 玲
何か用があるのではなく、単に興味が湧いて入ったのでしょうね。〈裾からげ〉に萩の藪の様子も見えますし、作者の遊び心も見えてきます。
新涼の風豊かなり鳶の笛 越智千代子
今年は新涼と感じる日が例年より一ケ月も遅れました。待ち遠しいだけに、そう感じさせてくれる風は嬉しいものです。空には鳶。いい一日ですね。
月代や出戻り猫にドンマイと 北田 啓子
〈出戻り猫〉ということは、一旦は保護したのに、家出をしてしまった猫でしょうね。月の昇る前、東の空が明るくなったあたりで戻ってきた猫。〈ドンマイ〉が全ての光景を思わせてくれます。
谷よりの風沢蟹の横歩き 木原 圭子
沢蟹は夏ですが、掲句は満月の前後の一景。広島勤務時代、夕方に江田島の研修所に向かっているときに、道をいっぱいに塞いで海の方向に移動する夥しい数の沢蟹に出会ったことがあります。二十分ほど待ったのですが列がとぎれず、何匹かを轢いてしまったことを思いだしました。
以下、選評を書けなかった作品、当月抄候補作品から