青葉集前々月号鑑賞         角野 京子

 

一位の実美しき旧家の佇まひ       越智千代子

 一位の木は儀式の時に持つ笏の材料に使われ、官位の正一位に因み名付けられました。貴族や聖徳太子、源頼朝など衣冠束帯の肖像に描かれています。その実は赤く透き通って甘い味がするそうです。掲句を拝見し、吟行で訪れた丹波市青垣町の細見綾子生家を思い浮かべました。玄関前に生垣があり赤い実がなっていて、「甘いよ」と言われて口に含みました。棚山波朗春耕前主宰に〈一位の実甘し母亡く綾子亡く〉の句があり、もしかしてと思って丹波市役所に尋ねたところ一位の実ではなく犬槙の実とのこと。どちらも種子には毒があり噛んではいけません。

本堂の障子の外の風の音         上和田玲子

 檀家寺でしょうか。取り立てて何もありません。そこがいいのですね。ストーブが焚かれていればその音も静けさを増幅させます。参拝者は障子を開けて本堂にお参りすることができます。名刹であれば、本尊に手を合わせショーケースの寺宝を拝見し、寺の縁起などを一通り拝見して、それからが貴重な時間です。見えない外の景色や風音も障子を通して感じる事ができます。

投句せる句のミス思ふ寒さかな      土屋 順子

 漢字間違いか送り仮名か文語表現の間違いでしょうか。せっかくの会心の作もうっかりミスで台無しです。その悔しさを句にしました。何度も見直し、きちんと書こうと書き直したがために一字抜かしてしまうことも。誰の所為でもなく、あの時にも懲りて学習したはずなのにまたもミス。命に関わるわけでなし…などと自分を慰めても悔しさは拭えません。俳人の性と言えましょうか。

がらくたを片付けてゐる年の暮      浜野 明美

 大人ががらくたと思えるものでも子どもにとって大切な物はありますが、大人にとってがらくたと思える物は何でしょうか。大根ならば葉っぱまで食べきれるのに…物を大切にと育った世代は片付けに悩みます。〈がらくた〉とひとくくりにしないと捨てる決断がつきませんね。新聞のコラム欄に人は、一日最大三万五千回の決断をしていると書いてありました。年末は片付けるチャンスです。

ブランド着て九十媼冬うらら       遠藤  玲

 人生百歳時代の心意気と風格が感じられます。ブランドを着こなすためにはお肌の手入れやヘアースタイル、背筋の通った姿勢も大切です。楽ちんスタイルで家にいるとついつい出不精になり、老いは全身に及びます。若返る秘訣は新聞やテレビなどに情報が溢れていますが、日々の実戦が大事で、適度な緊張感と学習意欲を持つことでしょうか。俳句はそれにぴったりです。

いの一に句会日埋むる新暦        野添 優子

 暦に句会日を記入し、投句の準備に取りかかる浮き浮き感が素直に出ています。吟行でご一緒することも多く、俳句を楽しんでおられることが伝わります。同時発表句に〈鎖垂る冬青空の切所(せっしょ)かな〉〈流星群見えざる戊夜(ぼや)の冬の月〉があります。日頃は図書館で言葉使いなど勉強されているようで、私たちも勉強になります。俳句も攻めの姿勢が大切ですね。

もう生家なきふるさとの時雨かな     高橋 佳子

 家が続くというのは当り前のように思っていましたが戦後家制度が廃止され七十余年、少子化と相まって故郷の父母が亡くなると故郷に兄弟がいても帰るのは法事ぐらいになります。父母が亡くなっても隣のおばさんが健在の頃は帰郷すると白菜や馬鈴薯を持たせてくれました。今では作者の幼少期を知る人はいません。時雨さえ懐かしく、ふるさとの景色が迎えてくれます。
 

鋤焼の煮詰まる鍋を老い二人       竹村とく子

 白葱に白菜や春菊、糸蒟蒻、焼豆腐などと牛肉の鋤焼は今でもご馳走ですが、子育ての頃はご褒美のメニューでした。さらに子どもの頃は、特別な日の料理でした。今ではあっさりとした水炊きや湯豆腐が日常ですが、今日の気分は鋤焼。久しぶりの鋤焼も溶き卵一個分で満腹になりました。残った分は美味しさが凝縮していますので、明日の昼食は卵とじにしましょうか。

冬めくや日々衰ふる記憶力        田中せつ子

 実感と共感のある句ですが、悲愴感は感じられません。
記憶力は俳句のお蔭で年相応より上かなと思いますが、自分にはひしと思い当たることがありますね。名前など人に聞かれた途端にど忘れすることもしばしばです。忘れ防止はメモで対処できます。スマホやパソコンの検索に頼りがちになりますが、作者はそれを敢えて使わず、記憶力の低下に歯止めがかかっているとお見受けします。

剝製の並びて寒き博物館         新倉 眞理

 剝製はまるで生きているように作られ、作者はそこに寒さを感じました。筆者も先日、大阪府岸和田市の「きしわだ自然資料館」を訪れて同感しました。一階は泉州の海の小さな生物が水槽で飼われ、二階は昆虫の標本です。その三階に個人が寄贈した剝製が百体以上展示されています。猛獣たちの目が爛々と鼻に皺をよせ牙を剝いています。子のライオンの剝製もあり、気持が沈みました。

一陽来復踊り字踊る一茶句碑      コダマヒデキ

 江戸後期の俳人、小林一茶は三歳で母と死別、継母に疎まれ十五歳で江戸へ奉公。俳諧師となり、五十歳で帰郷。弟との遺産相続紛争や再々婚と数奇な人生で、二万句以上を残し、数多の句碑が全国に建立されています。踊り字とは「々」「ゝ」「〱」のことですが、道明寺の一茶句碑〈青梅や餓鬼大将が肌脱いで〉と書家榊莫山の踊るような揮毫を見て一句。作者の直感が光ります。