青葉集前々月号鑑賞         角野 京子

 

それぞれの色にもみづる竜田川      德山八重子

 竜田川は生駒山東麓を源流として、平群町を流れ斑鳩町内で大和川に合流。崇神天皇が訪れて五穀豊穣を祈願し、流れてきた八葉の楓を龍田の神に献上したのが紅葉の名所の始まり。百人一首に〈ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平〉〈嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり 能因法師〉が収録されています。竜田公園として遊歩道が整備され、古の人々に想いを馳せながら紅葉狩を静かに堪能する作者。〈それぞれの色にもみづる〉と動詞の使い方がぴったりです。

玄関まで酢飯の匂ふ秋祭         松本 英乃

 稲作が重んじられて来た日本では、山から田の神を迎え豊年を祈る春祭を、秋には稲の収穫後、新米を供えて感謝し、田の神を山へ送る秋祭が行われます。青空の下、神輿を担いだり山車を曳いたりと地域の行事を楽しみます。その際の料理がこの地域では郷土料理となっている鮨ですね。〈玄関まで〉としてハレの日を描写。大きな鮨桶に炊きたての新米を団扇でさましながら酢をからめている家族や、威勢の良い法被姿も見えてくるようです。

秋夕焼海見るだけの汽車に乗る      越智 勝利

 お住まいは新居浜ですので汽車は予讃線でしょうか。瀬戸内海の秋の入り日を眺める作者。今までは通勤の為でしたが、リタイア後の心のゆとりが〈海見るだけの汽車〉に表現されています。島々が黒いシルエットとなって夕日が沈んでいきます。同時発表の〈歳時記の手垢まだまだ青蜜柑〉の句は俳句に対する真摯な姿が素敵です。車窓から海を見て俳句モードに浸りたくなりました。

野に還る畑に背高泡立草         北田 啓子

 昭和の頃はどんなに狭くてもあぜ道を通し耕していましたが、平成が令和となり機械化され、高齢化、過疎化が進むと放棄田が増えました。人の手が途絶えると荒れ地となり、そこに侵入するのが外来種の背高泡立草。地下茎と種子の両方で増え、繁殖力が大なる一因にアレロパシー物質(他の植物の種子発芽や成長を妨げる物質)を出すからと言われています。手強い相手を上手く句材にしました。

八千草の色を束ねて仏花とす       杉村 好子

 八千草は秋草の傍題で秋の七草のみならず秋の野に咲く草のことですので、七草を歌った山上憶良の「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」に加えて吾亦紅や水引草や荻など。春の七草は七草粥に入れる草ですが、秋の七草は花ですので〈色を束ねて〉の表現が的確です。市販ではなく、庭の花々を束ね心のこもった秋分の日の仏花です。

鷹匠のかひなに眼座りけり         中田美智子

 〈かひな〉は漢字表記では腕、肱。鷹匠の腕に鷹が止まっています。 〈眼座りけり〉として鷹の視線と堂々とした落着き、鷹匠との強い信頼関係が感じられます。鷹狩は飼い慣らした鷹を放って野鳥を捕らえることですが、軍事訓練も兼ね、信長も家康も、日本書紀には仁徳天皇が百舌鳥野で鷹狩をしたとあります。今城塚古墳の埴輪列には武人と並んで鷹匠もいます。

初猟の犬や左右に尻尾振る        松本 葉子

 こちらは猟犬です。銃猟の解禁日は十一月十五日からで鴫や鴨の渡りの最盛期、雉や山鳥も成長が終わり標的とされます。同時発表に〈初猟の作戦会議弾を込む〉〈猟初視線走らせ銃構ふ〉の二句。猟師は逸る犬を左右に従え、犬は逸る気持を抑えきれず尻尾を左右に振っていますが、尻尾の振りが止まり、弾が鳥に命中しました。猟犬の綱が放たれ獲物を銜えに猛ダッシュします。

三毛猫を褒めて叱つて暮早し       木原 圭子

 猟犬の様にはなれない猫。鼠対策に飼育され家畜化された猫も、今は愛玩用となっています。掲句はまだ躾の効く子猫でしょうか。爪とぎをしたりじゃれたりと遊びたい盛りの猫を相手に褒めたり叱ったりと時間を忘れるほどです。猫は約一年で成猫となり食事が保証されると寝てばかり。食後は満足げに顔を洗い毛繕いに余念がありません。呼べばうれしそうに尻尾を立てて走ってきます。

飴は手にざうりは母に七五三       松本すみえ

七五三水兵服も混じりをり        瀬崎こまち

 七五三は、古来に宮中や公家の間で行われていた数え年の三歳「髪置の儀」、五歳「袴着の儀」、七歳「帯解の儀」に由来するもので今では広く庶民の間に広がりました。子の成長を願い氏神に詣でてお祓いを受けます。両親だけでなく祖父母もスポンサーとして晴れ着で同道しますが、子が主役ですので俳句も子にピントが当たります。

喜寿を越え終の十年日記買ふ       鎌田 利弘

 七十七歳の長寿のお祝が喜寿。今まで十年日記を続けて十年の満願に達せられました。そして新たなる気持で次の十年の始まりです。「終」と思えば日々が貴重です。筆者は手帳を必携し日記代りにしていますが備忘録が主。掲句を拝見し毎日三行ほどで、記憶の為に記録し、そして記憶を蘇らせる為に購入したくなりました。若い時から続けておれば自分史が書けますね。〈日記買ふ〉が季語。

俳人の修学旅行冬うらら         髙木 哲也

 「雲の峰三十五周年記念吟行」の句です。吟行地は京都大原、バスから降りると道ばたの草や冬菜畑の作物の名前などを観察。大原女の小径の標識があり、蔓の手提げ籠の店に嵯峨菊の鉢がずらりと並んでいました。あまりの見事さに興奮冷めやらず俳句手帳を手に取材をしていると「修学旅行ですか?」と店の人に声をかけられました。言い得て妙の言葉をそのまま生かして成功しました。