若葉集選後所感           朝妻 力

 

章魚一匹茹でて刺身に酢の物に      山﨑 尚子

 足一本でも結構たいへんな量でしょうに、一匹となりますと……。たとえ小さいと言っても料理するにも頂くにも苦労されたことでしょう。その夜は章魚づくし。場合によっては翌日もというあたりでしょうか。所で昔の人は加齢と共に腰のまがる人が多かったようです。田植や麦刈りで腰を曲げることが多いのが原因ということで作業の終わる七月一日(半夏生)には必ず章魚を食べたものでした。今でも「章魚の日」として残っています。

分蘖の進みて安堵半夏生         佐々木一夫

 分蘖(ぶんげつ)は稲・麦などの、茎が枝分れすること。五十年も前のことですが、一粒の稲からどれくらいの米ができるか数えたことがありました。植える時の一株は大体三本。それが七月には二十本の茎になっています。稔ると一本の茎に大体六十粒の実(籾)が出来ます。合計千二百の籾。元は三粒ですので四百倍になる……。一粒万倍とはいきませんが、半年で四百倍になる投資など他にはないと感慨深いものがありました。

浴衣縫ふ母の使ひし鯨尺         片上 信子

 鯨尺、懐かしいですねえ。改めて調べてみますと普通に言う曲尺(かねじゃく)の一尺に比べ二十五%長いのだそうです。曲尺も鯨尺も身近にあったのですが気付きませんでした。鯨の髭を使ったのでそう言うのだそうですが、記憶の鯨尺は竹製だったように思います。

推しの名と顔が揺れ居る団扇かな     井上 浩世

 一押し二金など、押しという語は以前からありましたが、最近は個人的に推薦したい芸能人・観光地・食べ物などに「推し」が使われるようになりました。作者の推し、誰でしょうか。

ひよつこりと雷鳥沢に雛六羽       大木雄二郎

 一見して無季俳句。しかし立山の雷鳥沢ですのでこの雛はどうみても雷鳥。ということで読者の読み方によってですがぎりぎりセーフという感じの作品。若き日の思い出でしょうね。

鈴なりにああ礼幡のリラの花       村川美智子

 二十年も前になりますが、四條畷市で田原城の城主だった田原礼幡の墓が見つかったと話題になりました。礼幡はクリスチャンで洗礼名はレイマンとのこと。リラという外来の花にことよせて往時を偲ぶ作者。

灼熱を一気に冷ます驟雨かな       越智加奈子

 〈驟雨〉は夕立のことですが、驟という文字からもかなりの勢いがある印象があります。気温も一気に下がったのでしょうね。

夫逝きて相槌の無き梅雨入かな      小見 千穂

 七月号に〈酸素マスク取れたる夫や西日濃し〉と詠まれた作者。八月号は休詠でしたので心配していたのですが、今月の作品を拝見して吃驚しました。相槌は鍛冶職の師と弟子が互いに槌を打つこと。相槌を打つと使われます。考えてみると相槌を打ち合う相棒がいてこその人生ですね。

友逝きて夜通し止まぬ半夏雨       溝田 又男

 亡くなった友人を悼むかのように激しい雨。この数年、半夏の前にも後にも激しすぎる雨が増えてきました。

マリーゴールドに声かけ一日始まりぬ   児島 昌子

 庭に植えてあるのでしょうね。玄関を開けて大きな声で「おはよう!」。元気な一日の始まりです。

朝涼し五時から学ぶ倫理学        近藤登美子

 同時発表の句から、朝早くから法話などを聞いておられることが分かります。法話の主体は倫理学。身も心も涼やかになります。

エアコンの故障が響く熱帯夜       関根由美子

 掲句の響くは音響ではなくて、良くない影響が出るという意味。熱帯夜にエアコンの故障。扇風機をフル回転して過ごすしかありません。

水鏡消えて青田や生き生きと       佐々木慶子

 植田のころは水鏡のようだった田の面も、苗が生長すると見える水面がどんどん少なくなります。苗の生長の様子を見事に把握しました。

掃苔の墓標に掛くる吟醸酒        扇谷 竹美

 父上はたぶん酒を好まれたのでしょうね。掃除の終わった墓に、吟醸酒を惜しげもなく掛ける作者。

熱帯夜最後の夢をのみ記憶        安齋 行夫

 寝苦しかった朝方など、いろいろな夢を見ます。しかしどれもこれも記憶にはなし……。最後の夢だけ覚えている。実感ですね。

夕暮となりても閉ぢず百合の花      髙橋 保博

 立葵とか姫女菀など夕方になると閉じる花はいくつもあります。そんなことに気付いて百合はどうかとみている作者。これもまた発見ですね。

プールより青き目の子の上がりけり    大畑  稔

 数十年前とは違い、街中で外国の人を見かけることが多くなりました。プール遊び、日本の子も外国の子も大好きですね。

青芒かきわけ秘密基地へ入る       星私 虎亮

 小学生のころは、みな自分なりの秘密基地を持っていました。秘密基地と言うだけでわくわくしたものです。

初夏の風に百花の戦ぐ礼文岳       大前 繁雄

 礼文島は「花の浮島」と呼ばれているそうです。ネットをみましたらレブンコザクラ・レブンアツモリソウなど三百種にも及ぶとか。良い旅だったようです。

笑み涼しビタミンカラーのワンピース   岡田  潤

 初見でしたのでネットを見ましたら、ビタミンCの豊富な柑橘類の色を指し、鮮やかで健康的な色調……とありました。詞書にAさんとありますが、作者に聞いてみますとぴったりの色感です。

向日葵や空き地に選挙告知板       河井 浩志

 選挙期間中の街の一景。季語があれば一句になってくれます。これが俳句の凄いところです。

水遣りに応へて茄子の紺豊か       川尻 節子

 自家菜園で栽培しているのでしょうね。茄子は乾燥に弱いだけに水遣りが大切。きちんと応えてくれました。

風神と雷神が並む雲の峰         杉山  昇

 〈雲の峰〉が風神雷神のようだと見た作者。雲、不思議な位に色々の形を見せてくれます。

三輪山を仰ぎてくぐる茅の輪かな     中谷 房代

 大神(おおみわ)神社は大和一宮。桜井市にお住まいの作者。夏越の祓となるとやはり大神神社なのでしょうね。





 ~以下、選評を書けなかった作品、当月抄候補作品から~

背丈越す草の揺れゐる夏野かな      松谷 忠則
風出でて迫りくるかに積乱雲       山本 創一
山開き五合目まではバスに乗り      神田しげこ
それぞれの思案で揺るる風知草      木村 粂子
白靴を履きて万博一万歩         中尾 礼子
サングラスいつしか軽き歩みかな     野田 千惠
葉も茎も実もつややかにさくらんぼ    日澤 信行
照り付くる日差しと蟬の大競演      平井 高子
貧血と低血圧と夏の日と         平本  文
鳴りやまぬ平和の鐘へ大ゆやけ      福原 正司
五月晴航跡二本交はりぬ         古谷 清子
青空に黒向日葵の神秘かな        山口 直人
米騒動思ひつつ見る青田かな       森田 明男
白南風や車窓より見る淡路島       秋山富美子
三十回目の母の忌日や船祭        井上 妙子
出雲路の列車が分くる青田波       井上 白兎
花茣蓙に猫のねまれる暮つ方       加納 聡子
祖母好みの器によそふ夏料理       倉本 明佳
海望む丘の館や花とべら         小谷  愛
水無月や古古古古米の加減良し      杉本 綾子
夏菊をグラスに浮かべ朝の卓       竹中 敏子
朝されば風さはさはと青田原       壷井  貞
モルヒネを決意せし夕沙羅の花      中野 尚志
さよならと手を振る二歳炎天下      布谷 仁美