☆執筆☆播广 義春
片山由美子著 句集「水柿」
著者は昭和二七年七月十七日千葉県生れ。五四年鷹羽狩行の指導を受け作句を始める。翌年「狩」入会。平成二年第5回俳句研究賞、十九年『俳句を読むということ』俳人協会評論賞、二五年『香雨』俳人協会賞受賞。句集に『雨の歌』『水精』『天弓』『風待月』『飛英』『俳句日記2015昨日の花今日の花』、著書に「現代俳句との対話」、『俳句の生まれる場所』、『鳥のように風のように』等多数。「香雨」主宰、俳人協会会長、日本文藝家協会理事。
大いなる鳥の飛び立つ青嵐
「香雨」創刊以来六年間の作品を収める第七句集。最も大切なのは俳句の格調と言うことだと思っています。それを今後も作句の指針にしていくつもりです。(あとがき)と帯に記す。以下同じく自選十二句より
開かるること待つ扉大旦
たたむとき昔のにほふ日傘かな
年送る武器の名いくつ覚えしや
白象の歩めば軋む夏の闇
ふらんす堂
細川洋子著 句集「海馬」
著者は昭和三一年青森市生れ。六三年「沖」入会、平成十年「沖」同人、十七年第一句集『半球体』上梓、十八年「沖」珊瑚賞受賞。俳人協会会員、千葉県俳句作家協会会員。
第二句集で、栞「宇宙の身体性」は相子智恵「澤」同人による。また能村研三「沖」主宰は帯に
埋火や津軽じよつぱりふつふつと
第一句集『半球体』を上梓後、間もなくして脳腫瘍を患った作者は記憶を司る海馬を圧迫され、しばらく記憶がなくなるという経験をされた。しかし手術後は目を見張る回復ぶりで記憶が戻った。これも洋子さんが津軽出身のじょっぱりを貫き通したからで、医師として俳人として不死鳥の如くに蘇り、このたび句集『海馬』を上梓されたことを喜びたい。
と記す。
以下同じく自選十二句より
天の川ひとに海馬といふところ
朧濃きものの一つに牛のこゑ
引き潮のやうに夏負けしてをりぬ
部屋の奥行長くなる湯冷めかな
朔出版
大崎紀夫著 句集「耳菜草」
著者は昭和十五年埼玉県戸田市生れ。平成七年「俳句朝日」創刊編集長、八年「短歌朝日」創刊、二誌の編集長を兼任、十二年朝日新聞社を定年退社。「WEP俳句通信」創刊編集長、十三年結社誌「やぶれ傘」創刊主宰、令和元年同人誌「棒」同人。現代俳句協会会員、俳人協会会員、埼玉俳句連盟参与、日本俳人クラブ評議員。句集『草いきれ』『榠樝の実』『竹煮草』『遍路―そして水と風と空と』他、詩集『単純な歌』『ひとつの続き』『3行詩その他100・2022』他、写真集『スペイン』、その他旅の本、釣り本など多数。
第十三句集で帯に
春昼のそこいらにゐる団子虫
ひまはりの畑向うに何か店
目立つほどのものではないが、耳菜草は結構親しめる草で、それで句集名を「耳菜草」とした。
と記す。以下同じく自選十二句より
麦踏みのひとがまだゐる川向う
足元を店の猫ゆくかき氷
猪垣に赤い小切れが垂れてゐる
街はずれをバスが走つてゐる残暑
ウエップ
☆執筆☆小林伊久子
自註現代俳句シリーズ「中川靖子集」
本書は句集『山仰ぐ』『花仰ぐ』『花爛漫』と、それ以後の「岩戸」からの作品を加えた三百句に自註を付し収録。昨年十一月に「岩戸」創刊五十周年を迎え、「本集がその記念になって望外の喜びです。」とあとがきに記す。収句と自註より
青田風通る田の字の間取りかな
周りを田圃に囲まれた我が家。田の字の間取りの平屋建ては、開け放つと青田風が抜けていき、気持よく過ごせた。
ひとひらにひとつの影の落花かな
よく見れば桜花の一片ずつが、命を惜しむかのように、淡き影を負うて散ってゆく。
うぶすなの水で飲みたる風邪薬
初詣の折に賜った御神水で風邪薬を飲んだ。何となく薬の効き目があるように思えた。
著者は昭和十七年大阪市生れ。六十年「岩戸」入会、下山芳子に師事。平成二五年「岩戸」三代目主宰継承。関西俳誌連盟大賞、関西俳誌連盟毎日新聞社賞など受賞。俳人協会会員、大阪俳人クラブ会員、大阪俳句史研究会会員。
俳人協会
木村瑞枝著 句集「色鉛筆」
大崎紀夫「やぶれ傘」主宰は
笹鳴は表通りへゆく辺り
言葉のやわらかさは〈もの〉〈こと〉に対するまなざしのやわらかさを映しているといっていいかもしれない。
と、序に丁寧な句評を記す。自選句より
サングラス表通りに出てかける
箸紙に名を書くことも無くなりて
雨少し朝顔市の帰りしな
午後の日が冬の椿にうつりをり
水貝に箸つけるころ雨の音
うつかりと焦がした目刺皿の上
墓へゆく坂にいちまい柿落葉
夫君が逝き、息を吐いても吸っても苦しく時が止まっていた時期、誘われて始めた俳句に救われたとあとがきにある。「哀しみの中にいると〈時が薬〉という慰めの言葉すら役に立たない」との言葉が深い。
著者は一九四六年埼玉県生れ。六六年青山学院女子短期大学卒業。七〇年染織家大田洋氏に師事。七六年~八〇年ソニー㈱勤務。八五年~二〇〇三年田中八重洲画廊にて染色展開催。一七年「やぶれ傘」入会、大崎紀夫に師事。日本俳人クラブ会員。
ウエップ
髙橋勝年・髙橋勝彦著
句集「昭和の爺・令和の爺」
本書は、父の遺した「俳句・小説」と、息子の「卯三句集・アナグラム俳句・連句・川柳に付け句」を収録。
跋には西谷剛周「幻」主宰が、著者を「実に多才」と称え上梓を言祝ぐ。
髙橋勝年(昭和の爺):明治三七年明石市生れ。旧金沢高等工業学校、米国イエール大学卒。旧満州国技術官吏、旧枚岡市技術官吏。昭和五九年没。集句より
此処よりは女人禁制夏木立
団結の集いの跡や委員長病む
げんげ田のきはまる辺り家二軒
流氷の津軽の海のオロシャ船
開拓の音を伝えて古時計
髙橋勝彦(令和の爺)俳名卯三:昭和一二年旧満州国吉林市生れ。平成一九年「幻」入会。現代俳句協会会員。集より
満月の遺伝子操作ハンバーグ
あしたから蝶になるから今夢中
啓蟄や錆びた缶からラムネ玉
赤メダカ白磁の皿に奴隷船
捨て苗やジャンボ田螺という多産
彩り豊かで機知に富んだ親子句集。
幻俳句会
☆執筆☆浅川加代子
渡井一峰著 句集「平明」
著者(本名渡井一信)は一九五四年富士市生れ。一九九〇年句作開始。二〇一〇年「湧」入会、甲斐遊糸に師事。二〇二四年四月「湧」主宰継承。俳人協会会員、俳人協会静岡県支部副支部長、静岡県俳句協会理事(機関紙「俳句しずおか」編集長)、富士宮俳句協会会長。
序に於いて間島あきら「梶の葉」主宰が著者の人となり、丁寧な句評を交えながら第一句集上梓を言祝ぐ。句集名『平明』は芭蕉の理念でもあり、亡き師(甲斐遊糸)の信条でもある「有季定型の力を生かし、歴史的仮名遣いの伝統を踏まえ、平易な表現を心がける」による。
以下、所収句より
大仏の膝に輝き初蝶来
公魚の素描のごとき淡さかな
引き絞る馬上の一矢夏来る
息吐いて吸ふを忘るる溽暑かな
桔梗や男ざかりの師の遺影
透きとほる二胡の調べよ冬銀河
平易な言葉の中にユーモアのセンス、鋭敏な観察力、自然への畏敬があふれた句群が並ぶ。
文學の森
熊沢れい子著 句集「岩清水」
著者は昭和六年宮城県生れ。平成九年「きたごち」入会、柏原眠雨に師事、平成二一年「きたごち」同人。平成二五年『四季吟詠句集27』に参加。令和二年「しろはえ」(篠沢亜月・佐々木潤子共同代表)創刊に参加。令和四年「きたごち」終刊。句集に『遠蔵王』、『花仙人掌』。俳人協会会員。
本集は、第三句集で三二三句を所収。
ウェストン碑のめがねを伝ふ岩清水
日本アルプスの紹介者となったウェストンのレリーフの眼鏡に見る清水の流れへの感慨である。
と柏原眠雨「しろはえ」顧問が跋に記す。
以下、所収句より
逝きし児の記念のさくら花見どき
背広着て賢治のやうな案山子たつ
新酒酌む津軽訛りと京美人
穂芒に風の集まるでんでら野
体育に授業切り替へ雪合戦
十二月八日の寺に人力車
国内外での旅吟を始め日常詠、学校生活での詠句など、あたたかく優しいお人柄が窺える。
文學の森
佐藤順子著 句集「浦賀水道」
著者は昭和十四年宮城県生れ。平成四年「泉」入会、石田勝彦、綾部仁喜に師事。平成二七年「泉」新人賞受賞。現在「泉」同人。俳人協会会員。
岡本太郎の目玉見に行く大暑かな
「泉」は石田波郷の唱導した「韻文精神」を掲げ、型、切れ、季語遣いなど俳句の固有性をもっとも大切にしている。自身の思いをストレートに述べ、字余りの手法に託した順子句は少々異色で他の作品を圧倒していた。
と藤本美和子「泉」主宰が序に記す。
以下、所収句より
柿剝くや過ぎてをりたる更年期
舟虫に帰帆の波のひとしきり
夜は夜の明りに揺れて鳥威し
残る鴨二羽ゐるなんとなくよろし
素十忌の軒に吹かるる蜘蛛の糸
役得の一つ頰張るさくらんぼ
八十四歳じやがいも幾つ剝いたやら
魚跳んで浦賀水道秋夕焼
闘病中の著者が半生の記録として編んだ第一句集。凜とした佇まいの中に鋭い感性、ユーモアのセンスが光る。
ふらんす堂
☆執筆☆福長 まり
国光六四三著 句集「絵図」
著者は昭和三二年兵庫県飾磨郡(現姫路市)生れ。高校生の頃新聞、雑誌に投句。『万葉秀歌』や『俳諧歳時記』を買っては何らかの表現者になれる気がしていたと、あとがきに。
平成二二年「円虹」入会(令和五年退会)、同二六年「街」入会(三十年退会)、
同二九年「玉梓」入会、同三十年「いぶき」入会、令和三年「草の香句会」入会。平成二七年第十六回山本健吉評論賞準賞受賞。著書に『私の俳句入門』、句文集『すまし顔』。ブログ「六四三の俳句覚書」運営。俳人協会会員。
本書は平成二二年から令和六年までの二七六句を収録した第一句集。
名村早智子「玉梓」主宰は序に、著者の多方面にわたる活躍を紹介しつつ集中の作品に滲む優しさ、詩心を、「玉梓」の信条をもって紹介されている。
一心にもの食ふ汗のをさな子よ
著者自選十二句より
はつ恋や桃にのこりし指の痕
夏うぐひす焼場の扉閉づる迄
六道を見てきたやうな昼寝覚
ほむぎ出版
延川笙子著 「逆打ち おくのほそ道」
著者は一九四六年兵庫県佐用郡佐用町生れ。二〇〇三年「六花」入会、二〇一八年同人。二〇二一年京都芸術大卒業。
本書は、七十歳より通信教育生として始めた京都芸術大・文芸コースの卒業論文に紀行文を選んだことで書くに至ったもの。結びの地である岐阜の大垣から逆に芭蕉の足跡を辿り、深川へいたる三十六か所を四年かけて廻った紀行文である。
各地の芭蕉の句に自身の吟詠句を添え、共に同大学の日本画コースで学ばれた夫君の挿絵が書を彩る。俳句の添削をされた山田六甲「六花」主宰に、行動を共にしてくれた句友、大学の諸先生、関係の人々へ感謝を記す。帯に、
どどつどどつ滝水白く風を打つ
滝水にやまの鼓動を聴いてをり
松尾芭蕉の「おくのほそ道」を逆順に辿ってみたら、別のものが見えてきて、笙子は象潟(鳥海山)で俳句開眼したようだ!
と、山田六甲「六花」主宰が激励する。
本書で「雲の峰」の「おくのほそ道」吟行を思い出し、懐かしく拝読した。
俳句アトラス
天野美登里著 句集「寄居虫」
著者は一九五二年長崎市生れ。一九七〇年長崎県大村向陽高等学校卒業、二〇一二年服部栄養専門学校パテシエ・ブランジェ専攻科卒業、二〇〇一年「やぶれ傘」創刊会員、現在同人。日本俳人クラブ会員。第一句集『ぽつぺん』(第56回長崎県文芸大会県文芸協会賞受賞)
本書は著者の第二句集。二〇一六年か
ら二〇二四年までの三八一句を各年毎に所収。帯に
北窓を開き隣の猫に餌
波が砂浜に寄せ、引くときに寄居虫がコロコロ転んだのです。それを見て何だか楽しい気分になり、それからまた句が楽しく詠めるようになりました。(著者)
自選十二句より
木の芽摘む指先あをく染めながら
いちご煮る鍋底に火を強くして
巴里祭の長崎の夜は星流れ
薬掘る有明海をみおろして
空あをく雪加の騒ぐ干拓地
日々の出来事、身近な自然、生き物等々を淡々と詠む、暮しに寄り添う俳句というものを感じさせていただいた。
ウエップ