常葉・照葉集選後所感        朝妻 力

 

雪解けて畑の隅に忘れ鎌         小澤  巖

 日常の折々に見たこと、気づいたこと、感じたことに季節感を入れ、五七五のリズムに乗せるのが俳句。必然的に生活自体が、何かを見つけよう、何かに気づこう、何かを感じようなどという「詩を探す心」になってゆくものです。
 認知症研究の権威で横浜の汐田総合病院の宮澤由美先生はこういった知的活動が健康寿命の決め手と書いておられます。当然ながら、俳句に親しむこと自体が楽しみであり生きがいの一つであるわけですが、副次的に健康寿命に結びつけばこれほどうれしいことはありません。畑の隅に忘れられた鎌を見つけた……。健康寿命の秘訣です!

寺町の段だら坂を猫の恋         酒井多加子

 静かで薄暗い段だら坂。どんな歴史があるのだろうと思っている作者に、いきなり恋猫の声。意表を突かれ、驚いたことが一句になりました。驚くことも大事ですね。

ジョギングのいつもの匿路麦青む     杉浦 正夫

 匿路は「くけじ」と読んで抜け道の意味とのこと。ということはジョギングの正規のコースにこの抜け道が入っているということでしょう。青麦を見つけて大成功!

事書もうすれ絵踏の資料館        高野 清風

 事書(ことがき)といういかめしい名ですが、禁教についての掟書のようなものでしょうね。事書自体は踏む対象ではありませんが年月の経過と共に薄れてゆきます。

憩ひの場はかつて刑場春寒し       中川 晴美

 同時発表に〈秀次公ゆかりの河原冴返る〉がありますので掲句は京都三条河原であると分かります。秀吉は嫡子・秀頼が誕生したことで養子としていた甥の秀次が邪魔になり切腹に至らせます。その首を三条河原に晒し、その場で秀次の子や側室など三十九名の命を奪ったのでした。〈春寒し〉としか言いようがありません。

猪の目型の絵馬を濡らして時雨過ぐ    藤田 壽穂

 猪の目型はハートを逆さにした形。これには魔除けや福を招くという意味があり、社寺の懸魚や仏具や飾り金具などに古くから使われてきました。絵馬、どこでしょうか。

墨壺に雪含まする宮大工         吉村 征子

 墨壺は大工が直線を引くのに用いる道具。壺の真綿にしみこませた墨が減ってきたのでしょうね。水の代りに雪をつまんで入れる宮大工。貴重な場面を発見しました。

浅春の獏のかたちの木鼻かな       浅川加代子

 柱を貫通する横木(頭貫・虹梁)が柱から突き出る部分に彫られるのが木鼻。獅子や象・雲形模様などが彫られます。掲句は漠の形。人間の悪夢を食べてくれるそうです。

うさぎ小屋に残るえさ箱春寒し      井村 啓子

 餌箱だけが残っている場面。〈春寒し〉とありますので、兎は多分死んでしまったのでしょうね。一景を叙して、いろいろなことを思わせてくれるのが作者の技量です。

横浜をあかいくつバス風光る       三澤 福泉

 あかいくつバス??と思って調べてみますと桜木町駅を起点に、横浜赤レンガ倉庫や横浜中華街など、人気観光スポットを巡る周遊バスがあるとのこと。童謡「赤い靴」がモチーフとなっているとのことでした。

地に据うる明日春節の金の龍       三代川次郎

 春節と言えば今は中国の正月。中華街では巨大な龍が練り歩きます。こちらも明日、中華街を舞い踊る龍でありましょう。地面に据えて明日を待ちます。

かげろへる辻を曲がれば塩地蔵      吉沢ふう子

 源覚寺と詞書がありましたので調べてみますと、文京区内の寺院。塩をこすりつけて祈願すると同じ部位の患部が治るそうです。同じ寺にこんにゃく閻魔さんがおり、こちらも絶大な力を発揮してくれるそうです。

山門の根曳きの松の門木かな       板倉 年江

 根曳きの松、広辞苑には「特に子の日の遊びで、根ごと引き抜いた松。もと正月の門松に用いた」とありました。古くからの風習を大事にしているお寺ですね。

鷽替の帰途虐殺の碑を拝す        伊津野 均

 詞書により、大正一二年関東大震災の混乱を利用し、軍部等が亀戸の労働者らを殺害した亀戸事件の碑と分かります。非情な行為。噓に替えたいと誰しも思います。

春風や運気を上ぐる色を身に       上西美枝子

 〈身に〉とありますので衣類か装飾品でありましょう。生年月日により運気を上げる色が決まるそうです。

白魚や水を形にして群るる        宇利 和代

 〈水を形〉するどい把握です。見えない水も白魚によって見えてくるようです。

ピンク色のファーストシューズ土の春   大塚 章子

 ファーストシューズは初めて履く靴。ここは〈春の風〉などと季語を離した方がいいかもしれません。

独り祝ぐ結婚記念日春立ちぬ       岡田万壽美

 亡き夫君との結婚記念日。「雲の峰」二十五周年祝賀会では来賓としてにこやかにご列席いただきました。

豆撒やクレヨン匂ふ鬼の面        岡山 裕美

 お孫さんでしょうね。手作りの鬼の面に赤とか青のクレヨンを塗り、顔に付けているのでしょう。いい場面です。

暖かし赤と緑のあふるる絵        小山 禎子

 風景であろうが、子たちの遊ぶ場面であろうが、赤とか緑は暖かさを感じるものです。青も入っているかな……。

白梅や木戸開け放つ鴫立庵        川口 恭子

 西行が〈心なき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮〉と詠んだ大磯に俳諧道場として残っている鴫立庵。訪れた記憶に白梅がくっきりと残ってくれます。

神将に十二の武具や冴返る        田中 愛子

 新薬師寺の十二神将でしょうか。言われてみるとそれぞれ武器を手にしていますね。

割拝殿に相撲絵掛かる浅き春       播广 義春

 本殿の手前にある拝殿の中央を土間にして馬が通れるようにしたのが割拝殿。相撲にゆかりのある神社でしょうね。

キリシタンの里に幽き冬の虹       福長 まり

 茨木市千提寺は隠れキリシタンの里として知られています。教科書に出てくるザビエルの像もこの里の東家で発見されました。最後の最後の隠れキリシタン……。

雨過ぎて土の匂へる裏参道        船木小夜美

 〈土匂ふ〉が春の季語。雨のあとであるだけにふくよかに香ってくれたことでしょう。



 以下、選評を書けなかった作品、当月抄候補作品から

明日を信ず入り日眩しき枯野見て     長岡 静子
施無畏寺に偲ぶ明恵や冴返る       原  茂美
恋猫となりて出歩くきちゑもん      宮永 順子
今以て余震のニュース春寒し       吉井 陽子
春節や女子高生の龍踊部         渡邉眞知子
かくも擦れかくも澄みゐる踏絵の目    伊藤たいら
春宵やルルドマリアの青き帯       伊藤 月江
甘辛き御稲荷さんや午祭         今村 雅史
浅春の尼寺に法螺貝高鳴りぬ       奥野 雅應
早春の古書肆にさぐるモダニズム     河原 まき
しんがりに檄の飛び来る探梅行      木村てる代
カメラ据ゑ沢鵟の帰巣待つ日暮      櫻井眞砂子
初午や妻の包みし稲荷食む        住田うしほ
惜しまれて閉づる桜湯余寒なほ      瀧下しげり
冬草の青が目に濃き術後かな       田中まさ惠
初音聞く天下分け目の古戦場       田中よりこ
軒反りの美しき楼門風光る        谷野由紀子
量り売りの社家伝来の酢茎買ふ      冨安トシ子
哀史継ぐ朝拝式に春の雪         中谷恵美子
春寒し提灯ともす蛸薬師         中村ちづる
先程の人とまた会ふ松の内        西岡みきを
白樺の幹美しき木の芽風         春名あけみ
友の訃に老涙るると冬深し        平井 紀夫
如月や百寿の姉の誕生日         深川 隆正
江ノ島にほのと灯ともる夕霞       冨士原康子
梅が香や小槌を赤く描く絵馬       堀いちろう