常葉・照葉集選後所感        朝妻 力

 

店先に蚊遣火燻るなんでも屋       中川 晴美

 いまではコンビニエンスストアの印象ですが、掲句は昔ながらの雑貨屋でしょう。食料品や日用品とともに駄菓子屋というイメージ。子たちがアイスなどを食べられるようベンチを置いているのでしょうね。懐かしい一景です。

赤人の歌碑に香れる浜おもと       原  茂美

 和歌山の作者ですので〈若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る 赤人〉でしょうね。後世、土岐善麿がこの歌をモチーフにして能「鶴」を作りました。鶴の飛翔を舞にした印象的な一曲が思い浮かびます。

水分の口碑を縷々と宮涼し        吉村 征子

 水分(みくまり)は山からの水が分かれる所を差しますが、多くの場合、水分神として山裾の各地に点在します。掲句、宇陀の宇賀神社でありましょう。兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おうかし)の物語が伝わります。

幼子への城主の遺書や梅雨深し      井村 啓子

 鳥取の吉川経家が思われます。秀吉の兵糧攻めにあい、配下の助命を条件として切腹した人です。あちゃこなど幼いと思われる子たちに遺書を残しました。写しが残っているそうですので、どこかで拝見したのでしょうね。

父の日や書架に褪せたる歎異抄      小澤  巖

 弟子である唯円(ゆいえん)が、親鸞の話したことばを記録したと伝わる歎異抄。冒頭に「ひそかに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き」とあることから歎異抄と呼ばれます。「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」など、阿弥陀如来の力を信じよという他力本願を熱く説いています。

逃げきつてふり向いてゐる瑠璃蜥蜴    酒井多加子

 作者の近づく気配を感じて逃げた蜥蜴。ここまでくれば安全な距離……と感じて振り向いたのでしょうね。上五・中七のさりげない発見が見事です。

梅筵天満宮の日溜りに          杉浦 正夫

 菅原道真公が終生梅を愛したことから道真公を祀る天神様・天満宮には必ず梅が植えられています。花を終え、実となった梅。縁起物として使われるのでしょうね。

伏してなほ夢に散りくる滝桜       大塚 章子

 滝桜は国指定天然記念物の紅枝垂桜。樹齢は千年以上と言われます。昼間、その姿に圧倒された作者。その存在感が夢にも現れました。

仏頂面の化仏親しや走り梅雨       角野 京子

 化仏とありますので、十一面観音の頭部に配置された仏。無愛想、不機嫌な表情は広大無辺の功徳を表わしているとのこと。よく見ますと、色んな表情を見せています。

薫風やみな引分けの泣き相撲       木村てる代

 父親に抱かれて土俵にあがった赤ちゃん、みなしっかりと泣いて引き分けたのでしょうね。中には鬼の面などで泣かせようとしてもけらけら笑っている子もいます。

はんざきと見分けつくまで岩見入る    櫻井眞砂子

 初めて見たのは奥出雲のたたら製鉄所近くを流れている川でした。茶色に汚れた岩岩と同じ色の山椒魚。殆ど動かないので水の中の錆を纏っていたのでしょうね。誰かに教えられ、目を凝らしたことを思い出す一句です。

夏の夜の秒を刻める音低し        住田うしほ

 夏の夜、エアコンが効いていたとしても昼間の疲れが残るものです。普段であれば鋭く刻む秒針がなぜか低く聞こえる……。音を低いと聞いたのが発見でした。

青田なほ雨の水輪を描く余地       田中 幸子

 苗が育つと水さえも見えなくなるのですが、植えてから一ヶ月位はまだ植田と青田の中間。やがて苗の分蘖が進み、雨粒が水面に届かなくなります。

足元を過ぐる蜥蜴の古代の目       田中まさ惠

 一見して恐竜の生き残りかとも見える蜥蜴。目の合ったときなど、どきりとするものです。古代の目に納得です。

記紀の世の時空に浸る宇陀薄暑      冨安トシ子

 東吉野・宇陀吟行の一句。その昔、神倭伊波礼琵古命は東吉野から宇陀に入り、兄宇迦斯を謀略攻めにしました。

軽暖やまなぶた重き石の亀        中谷恵美子

 石の亀は当然ながら亀石ですね。眠しを思わせる春よりも、軽暖という夏の季語がとても効果的と感じました。

父の日や酒ほどほどと酒届く       西岡みきを

 お子からでしょうね。注意を促しながら、しかし大好物の酒を送ってくれる。ありがたいことです。

箱入りの葛餅二つ家苞に         播广 義春

 天好園の葛餅でありましょう。他の店で葛餅を買ったのですが、天好園の葛餅、格段に美味しさを感じました。

皆老いて笑ふほかなし夏の山       春名あけみ

 元気よくでかけたのに、途中でへばってしまった一行。まさに笑うほかなしという現実。

気の置けぬ馴染の店や鱧の皮       堀いちろう

 気を遣わなくても良い間柄を表わすのが「気の置けぬ」。まれに気を許せないなどの意味かと思われる文章を見かけます。考えてみると勘違いし易い言葉って随分ありますね。

廃屋となりたる鍛冶屋柿の花       宮永 順子

 昭和の後半、農業や林業の機械化が進むにつれて鍛冶業はどんどん衰退してゆきました。今の教科書には「村の鍛冶屋」も掲載されておりません。〈柿の花〉がよく合う一句。

清水汲む井戸に刻める五芒星       吉井 陽子

 五芒星は安倍晴明の紋(桔梗紋)としても知られています。掲句、京都の晴明神社でしょうね。清明が念力によって湧出させたという井戸が残っております。

聞きなせば焼酎浮かぶ山路かな      板倉 年江

 鳴いている鳥は当然ながら仙台虫喰。聞きなしは「焼酎一杯グィー」です。ネットで見ますと「チヨチヨビーン」とも鳴き、このチヨチヨが千代千代となり、センダイ、仙台という名になったということです。

夏草や土嚢並みたる造成地        伊藤 月江

 土嚢が並んでいるということはまだ造成中ということでしょうね。地が固まり、草が生えてくると売り出されます。

レコードの音色に浸る昭和の日      上西美枝子

 ここは蓄音機のレコード盤でしょうね。懐旧に浸っているのですから、たぶんSP版。アンプはもしかすると真空管式かと思いました。




 ~以下、当月抄候補作品から~

緑雨過ぐ青石の句碑輝かせ        浅川加代子
裏木戸に未だ乾かぬ蛇の衣        高野 清風
彫り映ゆる伊予の青石風薫る       長岡 静子
許可証を下げて叔母訪ふ薄暑かな     岡田万壽美
井水増す洗ひ場のある武家屋敷      小山 禎子
小判草をしやらしやら鳴らしみる朝間   香椎みつゑ
玻璃伝ふ一と日の雨や濃紫陽花      川口 恭子
五月雨を言葉集むるやうに聞く      河原 まき
思はざれば即ち暗し走り梅雨       小林伊久子
吊橋の張力しかと梅雨に入る       志々見久美
白鷺の静かに群るる朝の川        瀧下しげり
清和源氏の社に鳴ける時鳥        田中 愛子
麦茶など置きゐる無人販売所       田中よりこ
夏草の満つる売地の一区画        谷野由紀子
左手にスマホ右手に蠅叩         中尾 謙三
さつさうとドクターイエロー風青し    中村ちづる
虹が消ゆ忘れる事は許すこと       深川 隆正
短夜の書痴の濡らせる枕かな       福長 まり
万博や日傘の波のうねりゆく       冨士原康子
百合の香に鳥ごゑ混じる朝戸風      船木小夜美
駅裏の酒肆に立ち寄る夕薄暑       松井 春雄
爺ばかと幼の笑ふ麦の秋         三澤 福泉
木々の間に素木の塔や青嵐        三代川次郎
薫風やけふ新しきスニーカー       横田  恵
眼鏡橋の水面彩る花菖蒲         渡邉眞知子
地蜘蛛の巣引いて午後から雨になる    伊津野 均
金魚鉢に時ゆつくりと流れをり      うすい明笛