青葉集前々月号鑑賞         角野 京子

 

七尾湾の潮目はとろり小春凪       植田 耕士

 令和六年元日に能登半島地震が発生して多くの人命が失われ多くの家屋が倒壊しました。二ケ月近く経ちますが道路が寸断され断水状態にある地域も多く胸が痛みます。 
掲句は地震の前の作品。七尾湾は能登半島中央部に位置し、能登島を囲む湾からなり、牡蠣の養殖が盛んで天然の良港。能登半島の冬は能登時雨の言葉があるように一日に何度も降ったりやんだりと天気が激変します。小春日はめったになく住民にとっては非常に貴重で、牡蠣棚辺りの潮目を〈とろり〉と表現。一日も早い復興を祈るばかりです。
〈能登はやさし海の底まで小春凪 棚山波朗〉

覗き込むやうに蓋取る土瓶蒸し      新倉 眞理

 蓋を少し開けると松茸の香りと湯気がふわ~っと出てきました。それらを逃さないように蓋はそっと取らねばなりません。どんな形で松茸片が鎮座しているのかも気になります。銀杏や三葉、柚子の香りもして玉手箱を開けるような作者のしぐさに共感を覚えます。〈土瓶蒸し〉ならではのわくわく感を丁寧な写生で表現しました。
同時発表に〈おしやべりは嫌はれるはよ日向ぼこ〉があり、吟行や句会でも大切なマナーです。こういう素敵な注意の仕方もあるのですね。心したいと思います。

綿虫や早良親王供養塔          乾  厚子

 乙訓寺での句。早良親王(さわらしんのう)は桓武天皇の実弟。幼くして東大寺の仏門に入り、非常に徳が高く親王禅師と呼ばれていました。桓武天皇の即位と同時に還俗して立太子されましたが、長岡京造営にあたった藤原種継暗殺の首謀者とされ乙訓寺に幽閉されました。親王は無実を訴え絶食。淡路国に配流の途中に憤死し、大怨霊になったと恐れられました。その供養塔に綿虫が舞っています。

覚め際の麻酔に寒気検査台        糟谷 倫子

 全身麻酔は無痛ですが意識もなくなるため少し不安です。寒気がして麻酔から覚め、検査が無事終了したことを医師に告げられました。手術であれば術後の痛みが押し寄せてきますが検査ですのであっという間で不安感も払拭しました。同時発表句に〈着膨れどまとめ脱ぎなどせぬことに〉見透かされたようなユーモラスな句にどきっとしました。
    

蟹汁に大ぶりに切る大根かな       山内 英子

 蟹料理と言えば蟹しゃぶ、刺身、焼きガニなど冬の味覚のカニツアー特集が組まれますが、松葉蟹の産地の鳥取にお住まいの作者ですので、冬場は日常的に味噌汁の具に蟹を入れ、大根は大ぶりに銀杏切にしてシンプルで贅沢な味です。蟹汁には雌のセイコガニが適しています。

あはあはと紅葉づるコキア影淡し     田中 幸子

 コキアは、ふんわりとした球状の草姿がユニークでかわいらしく、秋には赤く紅葉する人気の一年草です。枝をほ うきの材料として使うことができるので「ホウキギ」や「ホウキグサ」とも呼ばれています。〈コキア〉は季語ではありませんが、他の季語との取合せではなく動詞使いの〈紅葉づる〉が秀逸。メルヘンチックな雰囲気がいいですね。

冬ぬくし柱の円み手のひらに       寿栄松富美

 寺の歴史をいろいろと聞き、仏像を拝したうえで大きな柱にそっと手を当てる作者。手のひらの皮膚感覚は鋭敏で柱の円みを感じ取りました。この感覚を衒いなく素直に表現したことで、歴史のある古刹でかつ大寺であろうことが想像されます。

幾重にも出雲の山や神渡し        藤原 俊朗

陰暦十月は諸国の神々が男女の縁結びの相談をするために出雲に参集します。その神々を送る風が〈神渡し〉。長い旅程をへてやっと見えてきた出雲の山々。神々の視線で俯瞰した厳かさと神話の国のロマンを感じます。

人馴れし小き蜻蛉と一日過ぐ       片上 節子

 作者が庭いじりをしていると近づいてきて弾むように飛び回っています。怖がりもせず逃げもせず無視もせず、ほど良い間隔を保っています。秋の日差しのなせる業でしょうか。作者の優しい目差が感じられます。

だいこ煮る今日の一日をよき日とし    瀧本 和子

凩や医師紹介状に新路見て        同

体調が不調で、ここ数日食欲もなく料理をする気も失せておりましたが、その原因と治療法が見えてきました。ことことと時間をかけて薄味で煮た大根で食欲を取り戻した作者。〈だいこ煮る〉という平凡な日常に胸が熱くなります。

新米炊けば卵ご飯と口揃へ        中田美智子

 ハンバーグやカレーライスを喜ぶお孫さんたちも新米には〈卵ご飯〉です。僕も私もと炊立てのご飯に卵を割ってもらっています。瑞穂国の明るくて健康的な家族の食卓です。炊立ての新米の香は馥郁とした平和の香りです。

隣人にこつを教はる吊し柿        野村 絢子

 吊し柿は甘柿に比べて何倍も何日も手間がかかります。
黴びさせずに、ほど良く粉を吹かせ甘さを凝縮させるには長年のこつがあるのでしょう。吊し柿といえば、常葉集同人の酒井多加子さんの吊し柿は、ご自宅のベランダの気温と山風が適しているとのことで秘伝の美味しさです。

ネクタイの人ひとり居る炬燵かな     渡部 芋丸

 昔は炬燵にはちゃんちゃんこや褞袍が似合っていました。くつろぐためにはネクタイはNGですが、何か理由があるのでしょう。お嫁さんをもらいに来た男性とか…緊張した面持ちが目に浮かびます。〈ひとり居る〉と取り立てた表現が効果的で想像の膨らむ楽しい句となりました。