和清の天母の絵筆が動き出す 植田 耕士
お母さんは高齢とお見受けいたしますが、人生百年時代、凜とキャンバスに向かわれている姿が浮かびました。この句を拝見して七十の手習いを始めたくなりました。〈和清の天〉の斡旋が効果的で、その日が清らかで穏やかであったからだけでなく、自分らしく暮らしている母への尊敬のまなざしが感じられます。ここまで書いて、気になり、作者にうかがうとお母様は九十三歳で千葉に在住、銀座で個展を開かれていたとのこと。写真で油絵の作品を拝見し、画家としての素晴しさとその作品数に感動しました。
どの窓も木々の輝き柏餅 新倉 眞理
実に清々しく、胸のつかえが下りるような一句です。私の部屋からも窓の木々の様子が見えます。冬から春になって新芽が吹き始めました。この春の息吹を句に表現したいと思いながら、新芽の柔らかさと生命力に見とれて言葉が見つかりません。そして若葉の季節となり、小雨も初夏の日差しも生長を促し、さえずりも聞こえています。作者はこの季節の喜びを〈木々の輝き〉と表現。端午の節句に食べ、故郷の味でもある〈柏餅〉の選択が見事です。
魚島時の室津の浜の人出かな 竹内美登里
聞きなれない季語で一句をなしました。季語は〈魚島〉でその傍題が〈魚島時〉です。歳時記によりますと、外海の鯛が産卵のため瀬戸内海に入りこみ、その群がった状態
が小島のように見えること。室津は兵庫県たつの市にあり、播磨灘に面する港町で、室の泊(むろのとまり)と呼ばれ、千三百年前から大いに栄えました。今はその面影はありませんが生牡蠣の時期には人が押し寄せます。
山鳩の突如飛び立つ藤の渓 片上 節子
淡い紫の花がけぶるように谷間に咲いています。同時発表句に〈山藤や濃きも薄きも日に映えて〉があり、藤の花の濃淡に見入っていたら突如鳩が飛び出してきました。山藤としたいところですが山の字は鳩に付けて〈藤の渓〉として深山幽谷の趣が出ました。山鳩の雄は「デデッポッポー」と低い声で鳴きます。雉の雌の体色と似ているので別名雉鳩。神社や公園でよく見かけるのは土鳩です。
摺り足を習ふ五月の能舞台 穂積 鈴女
能は、日常生活ではとらない動作、体の使い方で表現する伝統芸能です。床に足を添わせたまま、擦るようにして歩きます。上半身は上から糸で吊られているように意識してまっすぐに保ち揺れません。能楽師は足先にまで神経を研ぎ澄ませた足の運びで、悲しみ、怒り、悔しさ、懺悔(ざんげ)など負の感情を表現するとのこと。能舞台での稽古により、能の鑑賞力が深まったことと思います。
夢に見し母の小言や花茨 コダマヒデキ
親にとって子はいくつになっても子。そして子にとって親は親。その親も他界し、よほど気になって夢に出てくるとはありがたい存在ですね。このままでいいのかどうか自分でも迷っているからですね。他人は気がついても教えてくれません。言い方がモラハラと取られかねない時代、忠告やアドバイスは貴重です。私もそれを素直に受け止める度量を磨きたいと思います。この花茨は黄色。
行く春や介護別居は四年目へ 鎌田 利弘
核家族となり、共働きの時代となり、介護制度の普及もあり、嫁が義理の親を世話することは少なくなってきました。定年退職後であれば、夫の方だけ実家に戻り、野菜を作りながら老親の介護をする場合もあります。妻には妻の事情があり別居婚となります。そこで、会うときはお互い家事から解放されて旅行先です。七夕の織姫と彦星のように、老後の夫婦の形態は夫々です。
もののふも挿頭草付け待機せり 瀬崎こまち
〈挿頭草〉は双葉葵の別名。賀茂祭は五月十五日京都の上賀茂・下鴨両社の祭礼で人々が桂の枝に双葉葵を懸けたものを飾るので葵祭とも呼ばれます。王朝絵巻さながらに平安時代の貴族の装束を身に付けた行列は検非違使、乗馬の勅使、牛車、斎王代の順で御所を出て下鴨神社に向かい、午後は賀茂川の右岸を上賀茂神社に入ります。行列の警護や先導を務める武士の衣装に焦点を当てました。
一品を増さむと薄暮胡瓜揉む 髙松美智子
夕食の支度中です。肉か魚か毎日の献立を考えるのも一苦労です。夏ばて気味の食卓に涼感を加え、箸休めにもなる胡瓜揉みを作りました。胡麻を散らして酢の物も美味しいですね。下ごしらえもいらず火を通さず、揉むというちょっとした一手間が和食にぴったり。私も美味しい胡瓜が食べたくて、プランターに胡瓜の苗を植えました。芽搔きの判断が難しくやっと花が咲きました。
畑仕事切り上げてゆく花見かな 山下 之久
自分のスケジュールで畑仕事に余念の無い作者。丁度桜の季節、畑打ちをしながらの桜もいいですが、お弁当をもっての花見に誘われました。ご夫婦で行かれるのでしょうか。奥様は花見弁当を作られています。種蒔きにと忙しい時期ですが、今朝の作業を少し早めに開始して、切りのいいところまで。花見は格別の楽しみですね。運転手に早変りして充実した一日です。
父の里の火の見櫓や草の王 伊藤 葉
〈草の王〉は人里に生える野草の一つで、遠くからでも目を引く黄色い花を咲かせます。草丈は三十から八十センチ。父の里を訪れたとき火の見櫓の周りに生い茂る草に目を留めました。名前を調べてびっくり。毒にも薬にもなるそうです。傷つけた時に出る乳液のような液体に触れるとかぶれるので、触らないように言われた記憶があります。二つの取合せがどこか釣り合って郷愁を誘います。