水取の焔に浮かぶ屋根の反り 野添 優子
奈良東大寺のお水取りは「修二会」と呼ばれる三月一日から十四日までの一連の仏事(法会)のひとつで僧侶たちが井戸から水を汲んで本尊十一面観世音菩薩に供えます。十二日の夕方からがクライマックスで、奉納された十二本の大きな籠松明(かごたいまつ)を修行僧たちが担ぎ石段を駆け上って二月堂の回廊で振り回します。その火の粉を浴びると災厄が祓われるといわれています。真っ暗な闇に燃え上がる焔。祈るように見上げる作者の目に、二月堂の立派な屋根が迫って来ました。美しい屋根の反りに焦点を合わせ、息を呑むような荘厳な行事を描写しました。
春の野に早々と咲く藪草石蚕 太田美代子
草石蚕(ちょろぎ)と言えば新年の季語で、シソ科の草石蚕という植物の塊茎を梅酢で赤く染め、縁起物として正月料理に用いられます。中国原産で夏に淡紅色の花を咲かせます。ところが〈藪草石蚕〉は、ヨーロッパ原産の帰化植物で日本各地に繁殖。草石蚕とは近縁ですが、食用にはならず「藪」がつきました。雑草であっても、花の少ない時期に先駆けて咲く姿は愛らしいものですね。
新調の靴馴染むまで青き踏む 鎌田 利弘
晴れの改まった行事に備え、靴を新調しました。靴擦れしては困りますし、颯爽と歩けるように外を歩いて試し履きをしています。最近はスニーカーでのお洒落が流行ですが、礼服には紐靴、女性の場合は少し高めのヒールがお洒落を演出します。と鑑賞しましたが〈青き踏む〉は野山を散策することなので、やはりスニーカーのことでしょうか。いよいよ春の訪れです。
アルミ缶転がして来る春二番 越智 勝利
春一番とは、冬から春への移行期(立春から春分までの間)に初めて吹く暖かい南よりの強い風のこと。テレビのニュースでも取上げ、春の訪れを告げるというイメージもありますが、春の嵐です。海難事故や火災などが起きやすく春一番として気象庁が発表します。春一に続く風を季語では春二、春三としています。アルミ缶がカラカラと転んできて、作者はこれは〈春二番〉だと思いました。
蕗味噌や常より早き飯支度 渡部 芋丸
蕗の薹を摘んできて、ご自宅で作られた蕗味噌でしょう。この季節ならではの香りとほろ苦さで食事が進み、お酒のあてにもぴったりです。同時発表句に〈酔狂の庭へ出て焼く目刺かな〉があります。家の中で目刺を焼くと匂も煙もこもりますので、庭で焼きました。するとむしろ、匂も煙もご馳走になります。一手間も二手間もかけて旬の物を美味しく味わう。健康の秘訣ですね。
名を知らぬご近所さんの笑みも春 植田 耕士
退院後の自宅での療養生活を思い浮かべました。運動不足解消とリハビリも兼ねて散歩に出かけました。日差しも風も空気も春の訪れを感じます。こんなところにポストがあったっけ……確かここには家が建ってたはず……などと見慣れたはずの景色も新しくまた懐かしく感じます。そしてどこかで見たような会ったような気がして思わず会釈を交わすのがご近所さんです。
辻褄の合はぬ話も春めけり 浜野 明美
どなたかとお話されているのでしょうか。優しい作者はふんふんと聞いていますが、前後の辻褄が合いません。あれっ?と疑問に思いながらも問いただすほどの事でも無く、ニコニコと聞いています。作者が聞き上手で、話す相手も一生懸命になり、話はどんどん展開します。俳句が日常生活に溶け込めば、このような場面も自然体に五七五のリズムで表現できるのですね。
百年の孤独読み終へたる日永 松井 信弘
『百年の孤独』と言う本の名前に惹かれ、調べてみますとガブリエル・ガルシア=マルケス著の長編小説で一九六七年出版、一九八二年に本作でノーベル文学賞受賞。二十世紀文学屈指の傑作とあり、世界的ベストセラーに。昨年新潮文庫で再刊されました。秋の夜長ではなく、春の日永に腰を据えて読む、読むほどに引き込まれて行く様子が想像されます。読まないままでは人生の損失かも知れません。
作付けに引かねばならぬ犬ふぐり 水谷 道子
吉野にお住まいの健康的で俳句的暮しです。春に作付けする野菜として多くが季語になっています。〈西瓜蒔く〉 〈胡瓜蒔く〉〈茄子蒔く〉〈馬鈴薯植う〉〈甘藷植う〉などなど。畦の雑草はみな可憐な花を咲かせています。犬ふぐりは背丈も低く一番に咲いて春の到来を告げます。畦の分は残しても畑にまで咲いているのは引かねばなりませんが、存分にその生命力をほめてやりました。
啓蟄や机上のスマホ震へ出す 光本 弥観
同時発表句に〈竜天に昇るここちの五期目かな〉があり茨木市市議会議員当選確実を知らせる電話でしょうか。〈スマホ震へ出す〉に待機していた緊張感と臨場感がうかがえます。現在、茨木市議会議長。その重責と多忙さは計り知れませんが、俳句を詠むことでバランスをとられているのでしょう。「主宰の一句鑑賞2」の軽やかなタッチも名文です。〈啓蟄〉が効いています。
臥竜梅うねりうねりて地に向かふ 松浦 陽子
臥竜梅はその名の通り竜が寝そべったような梅の古木であることは想像できますが、掲句はまるで動物のような動きがあります。その古木の前に立ってじっと眺めていて〈地に向かふ〉の言葉が得られました。樹齢何百年の竜の鱗のような幹をもつ古木が今年も可憐な梅の花を咲かせました。枝先にいくほど蕾状態で一枝ずつにも春の訪れがあり、風格と動きをプラスした写生句です。