胎動の記憶も形見門火焚く 糟谷 倫子
二月にご子息を亡くされた作者。六月号に〈おぼくさん下げて粥炊く夕長し〉と詠まれました。おぼくさんは仏飯。粥は弱火で気長に炊きますので、〈夕長し〉という季語が実感そのものと感じたものでした。そして今月号では〈胎動の記憶も形見門火焚く〉。胎動の記憶、とてもリアルな、そして母親でなければ把握できない感慨です。さらにお子を亡くしたとなりますと、誰もが体験することではない事態。であるだけに、作者独自の心情を痛いほど伝えてくれます。形見といいますと、故人ゆかりの品や笑顔や言葉が思われますが、掲句は作者にしか分からない形見……。これ以上はない把握と感じます。当然ながら、作者の代表作となる絶唱ですし、「雲の峰」を代表する一句でもあります。今月号の誌上句会〈こでまりの向き定まらぬ卒哭忌〉も見事でした。卒哭忌は百箇日法要。悲しみから立ち直り、日常生活に戻る忌と言われます。在りし日を偲んで句に残しつつ、日々をお過し下さい。それがご供養です。
夏木立に岩と見紛ふ呼吸根 松浦 陽子
呼吸根は水や土から空中に出て呼吸を行う根。近隣で言いますと伊丹の昆陽池の回りには落羽松(沼杉)の根がにょきにょきと出ています。それを岩と見紛えた作者。初めての人には岩とも見える根です。
時折はセンチメンタルあいの風 関口 ふじ
毎月のことですが、今月号でも〈トアロードを皆でスキップ〉〈祭囃子の音外す〉〈水も滴るをのこ〉などと明るさと陽気さを前面に出している作者が、〈センチメンタル〉と言ったことに吃驚してしまいました。心を揺らす出来事があったのでしょうね。しかし配した季語は〈あいの風〉。日本海で四月から八月に吹く風で船乗りに喜ばれたとあります。ちょっとした不安に、希望を感じさせてくれる季語を配したことがこの作者の真骨頂です。
硝子瓶の四葩に兆す覗色 北田 啓子
覗色、初めて接した言葉でした。辞書を見ますと、染料の甕をちょっと覗く程度に浅く染めた意とあります。それが分かると、とても良い言葉です。瓶にさした四葩の蕾が開き少し青みがかって来たのでしょうね。知的な興味をもって対象に接する作者が思われる一句です。
飛鳥の蘇囲む単衣の四人かな 瀬崎こまち
蘇は古代のチーズ。髙田郁さんの小説、『みをつくし料理帖』の隠れたテーマでもありました。単衣の四人ですから、飛鳥吟行の土産を囲んでいるのでしょうね。
父知らぬ子と父の日の園歩く 木原 圭子
作中の子が、作者のお子であるのか、お孫さんか、あるいは知人か親戚の子なのか……。いずれにしても父たる人は既に亡くなっておられるのでしょう。読者がそれぞれの思いで感慨に耽ることのできる作品です。
抱き抱へ米持ち帰るついりかな 伊藤 葉
提げて歩くには少々重い……。そんなことで抱きかかえているのでしょうね。しかし令和の米騒動と言われる昨今だけに〈抱き抱へ〉が絶妙。大事に運びます。
用水路に突然群るる梅雨鯰 長浜 保夫
五月から六月にかけてが産卵期ということで〈梅雨鯰〉という副季語が生まれたようです。いま、食べる人は少ないようですが、実は外見に似合わず、白身でとても美味な魚です。網を持って駆けつけたい用水路です。
スーパーへ妻の御伴や父の日も 松井 信弘
昨年現在の摂津市に転居された作者。町に不案内ということで奥様の御伴をしておられるのでしょうね。季語〈父の日〉が妙におかしみを誘ってくれます。
梅雨深し御屋敷遂に売りに出る 鎌田 利弘
かなり立派な御屋敷でしょうね。作者は持主と昵懇とは言えないまでも、お顔とお名前は知っている人。〈遂に〉の奥に、あれこれの事情が思われます。
鉢植ゑの捩花開く昼下り 村井 安子
捩花、芝生などに勝手に生えるものと思っておりましたが、作者は鉢で育てておられるのですね。捩花だけか、それとも他の草も一緒かな……などと思わせてくれます。
旧暦の島根の粽今年も来 渡邊 房子
島根にご親戚とかご友人が住まわれているのでしょう。今年の端午の節句、旧暦五月五日は、六月十日でありました。関連する食べ物の旬や月齢に関係する行事については旧暦がぴったりすることも多いものです。
代田水に動く命を見やりけり 斎藤 摂子
代田となったとたんに、水中に小さな泥煙を上げるもの、水面を泳ぎ回るもの……。〈動く命〉という発見が見事。
明けきらぬ浜の濡れ砂望潮 髙橋美智子
望潮(しおまねき)は干潟に棲む小さな蟹。求愛行動として大きい方のハサミを上下に動かすようです。それにしても「望潮」という漢字、「しおまねき」という訓、先人の観察力と知恵の凄さを思わせてくれます。
ちんどん屋を友と演ずる夏の宵 竹村とく子
町内のイベントでありましょうか。広め屋、東西屋とも言われるちんどん屋。毎年四月には富山市で「全日本チンドンコンクール」が催されます。
賑やかに甘藷植ゑゐる全児童 中田美智子
体験学習の一環でしょうね。苗を植える、水や肥料をやり、場合によっては除草する。そして秋には……。子どもたちにとって貴重な学習と言えます。
どくだみで傷手当せし戦時ふと 松山美眞子
どくだみは十薬。利尿・抗炎症・鎮静など様々な薬効があるとされます。どくだみを揉んで、怪我をした部分に押し当てたり、拭いたりしたのでしょう。独特の匂がありますが、それはすべて薬効かと思わせてくれます。
信号に汗を拭へる女性車夫 光本 弥観
人力車、特に外国からの観光客に喜ばれているようです。車夫の中には月収百万円を超える人もいるそうですが、実際には体力と知力と対応力を求められる外仕事。結構しんどいでしょうね。
金魚二尾寄りて離れてひと日過ぐ 山内 英子
しずやかな一景。一日をこのように把握し、表現すると時の流れが現実よりもうんと遅いように感じられます。
風鈴に風の淋しき夜なりけり 青木 豊江
淋しいとか悲しいという言葉は主観そのものという感じで俳句には使いにくいものです。しかしこの作品、夜の静けさを見事に表現しました。
ママチャリのママも幼もサングラス 大澤 朝子
使っている語の大半が片仮名。この感覚も、また詠まれた一景も現代風ですね。
緋目高の子の貰ひ手は小学生 片上 節子
飼っている緋目高が産卵し孵化したようです。喜び・楽しさを分かち合う。素晴しいことですね。
田水張り孤城の如き一軒家 小薮 艶子
孤城、初めて接した言葉でした。田水を張ったとたんに一軒家が孤城のように見える……。城につきものの堀がそう思わせてくれるのでしょう。
~以下、選評を書けなかった作品、当月抄候補作品から~