仕上がれる露地に艶めく敷松葉 杉浦 正夫
露地は茶室に向かう空間に作られる庭の事。露地全体で山寺をたどる道をイメージしたともいわれ、苔などが配置されました。その苔が冬の寒さや乾燥で枯れないようにするために表面を松葉で覆うのが敷松葉。枯れた松葉を拾い集め、ごみを取り除き洗って湯通ししたものを用いるそうです。その作り方の中にも、茶道の表には出さないおもてなしの心が宿っていると感じます。作者はその露地の美しさに見とれてしまったようです。
奉行所の跡に女子大冬ぬくし 中川 晴美
日本に国立の女子大は二校のみ、東京にある「お茶の水女子大学」と「奈良女子大学(通称奈良女)」。掲句はそのうちの一つ奈良女を詠んだもの。江戸幕府はこの地に奈良町の行政・訴訟、大和国の寺社の支配を職掌した奈良奉行所を設置しました。そして明治時代女子大学を誘致するにあたって奉行所の跡地の二万坪を用意しました。女子大の敷地がもともとは武張った土地だったというギャップがこの句を着想させたのでしょう。〈冬ぬくし〉の季語の斡旋に惹かれました。
日溜りに網を繕ふ冬帽子 原 茂美
十年ほど前に伊豆半島の海岸沿いをあちこち歩き回りました。そんな時、必ず見ることができたのが網を繕う人の姿。その多くは老人でした。現役の漁師たちは仕事の後の睡眠中でしょうか。お日様の温みを一身に受けて網を繕う姿は日本の原風景の一つと言えるかもしれません。
凩に振り向けばもう誰も居ず 伊津野 均
非常に心象的な一句であると同時に実景が思い出の中にある気がしました。子どもの頃の日本はもっと寒かったように思います。そして、そのころの子どもたちはいつでも群れていました。凩の頃の日暮は早く、日暮になると子どもたちは一気に散り散りになり家に帰ります。一読してその様子を思い出した一句です。
馴初めは冬日射し入る純喫茶 奥野 雅應
昭和レトロがブームだそうです。昭和をテーマにした遊園地や観光地、家電、琺瑯のボンカレーやフマキラーの看板などなど数えだすときりがありません。その中の一つが純喫茶。純喫茶そのものを舞台にしたテレビ番組もあります。掲句、作者の思い出の喫茶店。少し薄暗い店内とビロード生地のクッションの厚い椅子。作者はきっとその時の空気の感じも覚えているのでしょう。
木の鈴のまろき音色も小六月 上西美枝子
木製の鈴にする素材は桜、楢、檜、桑、赤松、欅、槐、栃など色々とあるようで、それぞれの材質によってその音色がかわるそうです。そしてその音質は掲句にもあるようにまろやかな癒される音。ヒーリング用にひとついかがでしょうか。〈小六月〉の「こ」の音が効果的だと感じます。
秋薔薇に光静けき異人墓地 うすい明笛
〈異人墓地〉は日本に長期に駐在していた外国人が眠る墓地のこと。明治時代には開国後日本に駐在し亡くなった人たち。そして第二次世界大戦中には日本で亡くなった捕虜の軍人たち。そこに眠る人たちは故郷を想う気持を持ったままこの世を去ったことでしょう。静かに咲いている秋の薔薇がその人たちの思いを慰めているように感じます。
動くかと手足を伸ばす冬の朝 宇利 和代
最近、以前のように体が動かなくなったということを実感することが多くなりました。ちょっとした段差でけ躓いたり、細かい作業をしようとすると指先が言うことを聞かなかったり、数えると際限なく出てきます。掲句、作者が朝の目覚めの時に手足を動かしてみて生きているということを実感しているもの。その感覚に思わずうなずいてしまう一句です。
息白し散歩の犬も引く人も 小山 禎子
冬に息が白くなる条件は、気温、湿度が低くそして空気中に細かい塵があることだそうです。掲句の発見はその白い息が散歩をしている人だけではなく、連れている犬も白い息をしているということ。当り前のことですが少なくとも私は見落としていました。一読して小型犬がせわしく白い息を吐いている様子を想像しました。
通販を頼みの綱に冬籠 武田 風雲
買物難民という言葉があります。言葉の通り買物に行くことができないお年寄などの事。近くに店がなくなったり、遠くのショッピングセンターまでの交通手段が無かったりと理由は色々あります。作者もそのような生活をしているのかもしれません。現代は昔の御用聞きの代りにネットスーパーや通販が強い味方になってくれているようです。季語に不便さも楽しみに変えている作者の姿勢がうかがわれます。
着膨れて吾より吾の影老いぬ 田中 愛子
着膨れて転びし事は内緒にす 深川 隆正
着膨れの句を二句。田中さんの句は自分の影に老いを感じたという一句。自分自身の姿は自分で見ることはあまりありません。そして気持は肉体年齢よりに十五歳ぐらいは若いものです。田中さんは自分の影のふとした動きの中に老いを発見したのでしょう。そして、深川さんの一句、私も実感として理解できる内容です。先日、マンションの外階段でつまずき転んでしまいました。転んでしまった事にも年齢を感じましたが、それより、もたもたして直ぐに起き上がれなかったことの方がショックでした。そして、私もそのことは誰にも話していません。