春場所や道頓堀を触れ太鼓 高野 清風
「一年を二十日で暮らす良い男」は江戸時代の力士を詠んだもの。この時代は晴天十日(晴れた日を十日間ずつ)の二場所制でした。現代の力士は年間六場所がありその他にも地方巡業などで忙しい日々の様です。掲句の春場所は毎年三月に大阪で開催されるもの。その触れ太鼓が道頓堀の川風に乗って聞こえてくるのでしょう。大阪の方はこの触れ太鼓を聞いて本格的な春の訪れを感じるのでしょう。
春場所や所作も凜凜しき庄之助 中谷恵美子
木村庄之助は大相撲の立行司の名称。木村庄之助の名前が広く世間に知れ渡ったのは第二十二代の庄之助の時代(一九五〇年代)。この時代は栃錦、若乃花の栃若時代と呼ばれ大相撲の人気絶頂期でしたが、その人気は関取の二人に引けを足らない物でした。掲句の庄之助は第三十九代。その行事さばきの姿を凜々しいと感じた作者。土俵の一句で行事に注目したものは珍しいと感じました。
翁碑や西行の碑や青き踏む 中川 晴美
西行は出家をして陸奥の旅に出たのは、能因法師を意識しての事。そして芭蕉はその西行を意識して奥の細道をたどったと言われています。作者はこの二人の足跡を訪ねて平泉を旅したのでしょう。西行が奥州を訪ねたのは冬、芭蕉は夏でした。そして作者が訪れたのが春。このことを作者は意識して季語を斡旋したように感じます。
映画館出でて付きくる春愁 原 茂美
私は映画館で映画を見る時にエンドロールを最後まで見ます。その最大の理由はその映画の余韻に浸りたいから。作者は映画を観終わった後の帰り道になにか心がもやもやした感じが付きまとったのでしょう。もしも二人連れで歩いていたとすると二人は何となく無口になっていたかもしれません。
樟脳は形見のにほひ夕長し 志々見久美
樟脳は楠(樟)から生成された天然素材の防虫剤。同じ防虫剤であるナフタリンと混同していることが多いですが全く別の物です。この匂、古い着物などの臭として記憶していることが多いようで。掲句のポイントになるのは〈形見のにほひ〉という把握。おばあ様かどなたかの衣類に風を通している作者の想いが伝わってくる一句です。
二度三度休み風船ふくらます 松井 春雄
子どもが小さかった時には難なく風船を膨らますことができましたが、つい最近、孫に風船を膨らますことがなかなかできず肺活量の衰えを実感しました。作者も風船を一息で膨らますことができないことを実感して、寄る年波を感じたのでしょう。
本陣の跡は六ケ所鳥雲に 冨安トシ子
室津四句の詞書の中の一句。室津は兵庫県たつの市にある小さなみなと町。かつて室津は北前船の寄港地として栄え、参勤交代する西国大名がここから陸路を使ったと言われ大名の宿泊する本陣が六軒もあったという事です。現在、本陣は残ってなくて石碑が立っているだけになっていますが、この町を訪れた作者は往時をしのんでこの一句を作ったのでしょう。去り行く鳥の姿に去って行った時を重ね合わせたように感じます。
海おぼろ傾き戻る漁舟 吉沢ふう子
春の季語になっている魚の代表的海の魚は桜鯛、眼張、鰊、鰆などがありますが掲句の漁船はなに漁なのでしょうか。この景の漁船は近海に出る小さなものなのでしょう。大漁で漁船が傾いでいるのを見た作者。漁船が大漁で傾きながら戻ることは他の季節でもあることと思いますが季語が春の漁の最盛期を表していると感じました。
行き先を告げずにひとり野に遊ぶ 堀いちろう
行き先を告げずにどこに行ったのでしょうか。もしかすると近所での散歩のつもりがつい足を伸ばしてしまったのかもしれません。日々の生活の中で、あることをメモ書きのように書き留めた一句。家の方はしばらく帰ってこない作者のことを心配していたかもしれません。上五、中七の表現が面白いと感じた一句です。
申告を終へて微酔ふ春の昼 横田 恵
個人事業主になり確定申告をするようになって十年ほどになります。今年も三月に確定申告をしましたが、申告する前の数週間は一年間の請求書や領収書、帳簿の整理などでバタバタでした。毎年のことなのでもっと前から準備をと思っていますが、毎年同じことの繰返し。この句、申告を終えた後の昼食のことでしょうか。昼酒を飲み微酔ふという表現が実感ですね。
宗因の句碑にかしげる水仙花 原田千寿子
西山宗因は江戸時代前期の俳人、連歌師。去来が記した去来抄に「宗因は此道の中興開山也といへり」という芭蕉の言葉があり宗因がいなければ俳諧はすたれていたかもしれません。句碑は八代城のものでしょうか。句碑のそばで水仙が春を告げていたのでしょう。
春浅し久方振りに庭掃除 西岡みきを
ここ数年春の訪れが遅いように感じています。気象庁は暖冬などと言いますが私の実感として立春から三月の初めまでがことに寒かったように思います。作者も寒さで外に出るのを控えていたのでしょうか。中七、下五で春が寒かったという実感が語られています。