前髪を少しく切りて更衣 中川 晴美
「更衣は陰暦四月一日をもって衣服や室内調度などを夏ものに改めることでもともと宮中の行事。その後、民間に広がり日を決めて学生や職員などが制服を夏ものにかえるようになった」(角川大歳時記)。生活の中ですっかり定着をした更衣も最近の異常気象の関係で少し様相が変わってきたようです。掲句の更衣も女性ならではのもの。前髪を少し短く整えたことが作者の夏を迎える装いなのでしょう。
緑蔭に休ませてゐる人力車 井村 啓子
江戸時代までの乗物である駕籠や馬に代わって明治時代に全国に急速に普及した人力車。それも、やがて鉄道の敷設や自動車の発達により衰退していきました。しかし最近になって京都、浅草などをはじめ多くの観光地などで人力車が大人気で若者が車夫として働いています。掲句、客待ちでしょうか。その景を車夫が休んでいるのではなく人力車を休ませているとの把握が面白いと感じます。
逆まはりで変はる景色や街薄暑 香椎みつゑ
いつもと違うことをすることは新鮮なもの。作者はいつも歩いている街を逆回りで散歩しているのでしょうか。そうするといつも見慣れているはずの町の景色が違うものに見えるという驚きがこの一句を作らせたのでしょう。いつもと違うことは楽しいですね。
五月雨を言葉集むるやうに聞く 河原 まき
今年の梅雨は短く且つ激しい大雨で洪水の被害を多く出しました。それとは違い掲句の五月雨はしとしとと降る雨なのでしょう。その雨音に丁寧に耳を澄ましている作者。〈言葉集むるやうに聞く〉という把握に惹かれました。
のつけから大雨警報梅雨に入る 瀧下しげり
今年の梅雨は西日本では六月の上旬から下旬までの非常に短いものでした。そしてもう一つが九州などで発生した線状降水帯による大雨。今までは梅雨の末期に発生した大雨が掲句のように〈のつけから〉で大きな被害が出ました。掲句のこの〈のつけから〉の言い出しでの勢いが内容ともマッチしていると感じます。
夏草の満つる売地の一区画 谷野由紀子
私の家の周りでは新築の建売住宅が多く建てられています。その状況はここ数年加速しているようで、バブル時代を知っている世代としては少し心配です。掲句、宅地として整地されている中で一区画だけに夏草が茂っている景。そこ以外はすべて売れてこれから家が建つのでしょう。そこだけが取り残されているように作者は感じたのでしょう。
左手にスマホ右手に蠅叩 中尾 謙三
「右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年……」は西南戦争の田原坂の激戦を歌ったもの。その本歌取でしょうか。作者は右手に蠅叩き左手にスマホを持ってどうしたかは書いてありませんが蠅を追いかけているのでしょうね。左手に何故スマホを持っているかは不明ですがなんとなく納得できるのは今時だからでしょうか。
百合の香に鳥ごゑ混じる朝戸風 船木小夜美
朝戸風は「朝、戸をあけたときに吹き込む風のこと」(広辞苑)。秋になる頃の朝でしょうか、それとも高原の別荘の朝かも知れません。雨戸をあけると朝の涼しい風とともに百合の花の香りが漂ってきたのでしょう。よい一日の吉兆のような朝を迎えました。
海紅豆流人の墓に波しぶく 横田 恵
卯波立ち海石あらはや流人の碑 吉沢ふう子
古くから流人の刑はあり、後鳥羽上皇や俊寛などでも有名。江戸時代には流刑は遠島、追放、所払いといった種類に分けられました。当時の有名な流刑地には八丈島、隠岐・壱岐、佐渡島、沖永良部島などがあります。横田さんの流刑地は沖永良部島でしょうか。海紅豆はインド、マレーシアなどが原産で奄美大島あたりが北限と言われています。真っ赤な海紅豆の花と南洋の海の波しぶきの色彩と流人の墓の対比がその悲劇を際立たせていると感じます。吉沢さんの句は八丈島でしょうか。江戸時代の八丈島流人の最初は、関ヶ原合戦の敗将である宇喜多秀家とその家来と言われ、それから江戸時代を通して一九〇〇人が流されています。掲句は八丈島の海辺にたつ流人の碑でしょう。流人たちはその海を望郷の念を持ち眺めたことでしょう。
さざ波に山影映す植田かな 渡邉眞知子
山間の稲作なのでしょう。田植が終わったばかりの田ではなく数日してしっかりと根付いた頃の田をイメージしました。その苗が風に吹かれている姿と田全体に広がるさざ波。その波に揺れる山の姿を作者は毎年眺めているのでしょう。静かな日本の原風景の一つ。
おほらかに植ゑ筋曲がる学習田 伊藤たいら
この句の季語は?と聞かれると返答に迷うところがあります。校正の中でも迷ったみたいですが、一句全体を読むと小学校の田植の終わった植田の様子だとわかります。田植の苗がまっすぐに植わっていないところを〈おほらかに植ゑ筋曲がる〉ととらえた作者の把握が好きです。
新緑を四囲に明るき美術館 上西美枝子
掲句のように佇む美術館は全国に数多くあるように思います。私は一読して真鶴にある中川一政美術館のことを思い浮かべました。「お林」という徳川家が四百年ほど前に作り明治以降皇室の御料林として管理されてきたという森を抜けると、美術館の白い外壁が明るく見えます。まさしく〈新緑を四囲に明るき〉美術館です。