若葉集前々月号鑑賞         伊藤たいら

 


 みなさまの多くは、句会に参加して合評や選句を楽しんでおられることでしょう。選句となると、的確な写生を通して即座に作者の想いや感性が見えて来る句を選びますよね。これが選句のポイントですから。でも、鑑賞となると、ちょっと違います。作者の想いや感性が即座に見えなくても、それは、自分の力不足ではないかと考え、いわば、ドアをこじ開けるようにして覗き込む、そんな姿勢をもって鑑賞します。私の鑑賞文をお読みになって「深読みだなぁ」と思われる方も多いことでしょう。ご容赦ください。

風に戯れ水に戯れゐる枯柳        福島 秀行

散り尽くした堀端か川辺の柳の枝が寒風に吹かれ、ときには水面にも触れて波立たせている、そんな枯柳ならではの在りようを見事に捉えた一句。とくに、〈風に戯れ水に戯れ〉のリフレインが柳の枝の柔らかな撓みようを見事に表現しています。
普通の人は、枯柳などには目も向けないのですが、このような句に出会うと、明日は散歩に出て皇居のお堀端の枯柳を見に行こうと思ってしまいます。巧みな俳句ならではの力ですね。

餅搗や米蒸す間の床掃除         行竹 公子

年の瀬、あれやこれやと忙しさが募る時期ですね。そんな年末の様子を「忙しい」という言葉で表現すると平凡な句になってしまいますよね。作者は、忙しいとは一言も言わずに、思わず「ご苦労さま」と言いたくなるような多忙さを一句にまとめました。餅搗きの合間にも、煤払い、注連飾りの準備など着々とこなしておられる作者なのでしょう。〈煤逃〉を得意とする私など、頭の下がる思いがいたします。

十二月紆余曲折をふり向かず       村川美智子

 いろいろとあった一年だったのでしょう。楽しいことも多々あったけれど、多くの失敗や悔やむこともありました。そんなことを思い出していると、ついつい後ろ向きの日々になってしまいます。そんな私にとって、この句の〈紆余曲折をふり向かず〉の措辞は、大きな励ましになりました。年末の定例行事である忘年会に参加しても、話題は、あれこれと過去のことばかり、年齢のせいでしょうか。この一句を読ませていただいたことを機会に、前向きの人間になります。

青森の雪を評する関西弁         中村 和風

 一晩に、一メートルとか二メートルも積もってしまう豪雪地帯の青森。そんな雪を見たら、関西の方は、どんな表現をするのでしょうか。東北地方で生まれ、育った私には想像もつきません。この俳句は、そこのところに触れていないのがやや残念。でも、そのことが何となくユーモアを醸しているような気もします。「めっちゃすごい」それでも言い足りないと言っているような。

小き手に少し多めのお年玉        福島 紫公

 思わず、にっこりとしてしまいそうな句。幼いお孫さんにお年玉をあげている場面ですね。何歳のお孫さんかな。作者は、その成長を喜びながら、去年より少し多めのお年玉をあげているのでしょう。
 そんな作者のあたたかさ、お孫さんが大きくなっても、決して忘れることはないことでしょう。

冬日差背に充電さるるごと        山﨑 尚子

 日向ぼこですね。冬日が背中を温めてくれています。気持いいですよね。
 私も、歳時記などを読みながら日向ぼこをしますが、そんなときは、背中に日が当たるようにします。そして、背中がポカポカしてくると、寒中であっても、暖かそうな場面の句が浮かんで来ます。日の温みが背中を通して心中まであたためてくれるのですね。まさに〈充電〉です。

初霜や我が愛犬は腕の中         山本 創一

 初霜がおりて寒々とした朝、愛犬を散歩させようとしている作者でしょうか。いつもなら、愛犬とともに歩き出しているのですが、この冷たそうな霜降る道に愛犬を降ろしていいものやら迷っている作者の姿を思い浮かべています。おそらくチワワなどのような小型のペットなのでしょう。
 そうしたペットを飼ったことのない方から見れば、他愛もないと思ってしまうかも知れませんね。でも、その愛犬を〈腕の中〉に抱えて、この霜を踏ませるべきか迷っている愛犬家の心境はよく分かります。

ふうううと息吐きて入る冬至の湯     岡田  潤

 冬至は、古来、運が向いてくる大事な日とされ、邪気を払う強い香りの柚子湯に入るのが習慣となっています。寒い中を来て、そんな柚子湯に身を沈めると思わず、〈ふううう〉と深い呼吸をしてしまうのでしょうね。何となく厄払いをしたような気分になって。
 実は、イエスの誕生を祝うクリスマスも、これからは日脚が伸びる、いわば希望の膨らむ日として冬至を理解していたことに由来するのだそうです。

同窓会名前を問へず蜜柑剝く       奥本 七朗

 顔はしっかりと覚えていながら、名前が出てこない、よくあることですね。歳のせいかも知れません。作者も、同窓会に出席しながら、そんな経験をしているのですね。あれだけ親しくしていたのに名前を聞くのは失礼ですし、戸惑ってしまいます。でも、浮かんで来なかった名前ですが、ふとした瞬間にふっと浮かんで来るものです。焦る必要はありません。作者も、そっと蜜柑を剝きながら、その瞬間を待っていたのでしょう。
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